ヒュー・デイリー
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![]() 1882年 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | メリーランド州ボルチモア |
| 生年月日 | 1847年7月17日 |
| 没年月日 | 不詳(1923年以後) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 180 lb =約81.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1882年5月1日 |
| 最終出場 | 1887年8月21日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ヒュー・デイリー(Hugh Ignatius Daily、1847年7月17日 - 没年不詳〈1923年以後〉)は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身[1]のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。ニックネームは"One Arm"。事故で片腕を失った投手だったが、メジャーリーグに6年間在籍し、1試合19奪三振やノーヒットノーランなどの記録を残している。
生まれた時の名前は"Harry Criss"という。幼い時に拳銃の事故が元で左腕を切断、その後地元ボルチモアのプロ野球チームで投手を務めるようになった。メジャーリーグのバッファロー・バイソンズに入団したときは既に34歳だったが、周囲との口喧嘩が絶えなかったそうで、メジャーリーグ6年在籍の間に7チームを渡り歩いた。
1883年に45試合に登板し23勝19敗の成績を上げ、この年の9月にはノーヒットノーランを達成している。翌年1884年にユニオン・アソシエーションが創設されるとリーグを移籍し、シカゴ・ブラウンズで27勝27敗の成績を残した。また同年記録した奪三振数はユニオン・アソシエーション最多の483に及んだ。また同年7月7日の試合では、1試合9イニングで19奪三振という当時のメジャーリーグ記録を作っている[2]。
1885年にナショナルリーグに復帰するが、登板数はわずか11試合だった。1887年に当時アメリカン・アソシエーションに加盟していたクリーブランド・スパイダーズで16試合に登板したが、4勝12敗に終わり同年メジャーリーグから退いた。
引退後の経歴について詳しいことは判っていない。正確な没年も不明だが、野球史研究家 Richard Malatzky の調査によると1923年頃までボルチモアで生存していたとされている。
