ヒルベルトの第2問題
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ヒルベルトの第2問題(ヒルベルトのだい2もんだい、ドイツ語: Hilberts zweites Problem)は、ダフィット・ヒルベルトが1900年に提示したヒルベルトの23の問題の第2問題である[1]。その内容は、算術の公理系が無矛盾であること(整合的であること)を直接に証明することを求めるものである[2]。
この問題は20世紀の数学基礎論においてヒルベルト・プログラムの中心課題の一つとなり、クルト・ゲーデルの不完全性定理およびゲルハルト・ゲンツェンの整合性証明をめぐる研究の中で、その意味づけが大きく変化した[3][4]。
1900年の原論文「Mathematische Probleme」において、ヒルベルトは第2問題を “Die Widerspruchslosigkeit der arithmetischen Axiome” という見出しのもとで提示した[2]。そこでは、ある科学の基礎を研究するためには、その基本概念相互の関係を正確かつ完全に記述する公理系を立てる必要があり、その際に最も重要なのは、それらの公理が互いに矛盾しないこと、すなわち有限個の論理的推論によって矛盾する結果に到達しないことを証明する点にあると述べている[2]。
さらにヒルベルトは、幾何学の公理については適切な数の領域を構成し、そこに幾何学的公理に対応する関係を与えることによって、その整合性を算術へ還元できるとした[2][5]。これに対し、算術の公理については、そのような還元ではなく、直接的方法による整合性証明が必要であると論じた[5]。また、算術における実数の公理の整合性証明は、実数全体あるいは連続体の数学的存在の証明でもあると述べている[5][6]。
歴史的背景
1900年の提起と初期の基礎論研究
ヒルベルトの基礎論研究は、1890年代の幾何学公理論に始まり、1899年の『幾何学の基礎』へと結実した[3]。スタンフォード哲学百科事典のリチャード・ザックによる「Hilbert’s Program」項目では、幾何学では公理系の整合性を実数平面への解釈によって相対的に示しうる一方、そのことは分析学自身の公理化と整合性証明を改めて必要としたと説明されている[3]。ヒルベルトはこの必要性を1900年の問題提起において明確にし、分析学の直接的整合性証明の必要を第2問題として掲げた[3][2][5]。
同項目では、ヒルベルトが1900年代前半に整合性証明の方向を模索したものの、当時利用可能だった論理的手段の限界などにより、その構想はただちには完成しなかったと説明されている[3]。また、初期の試みに対しては、整合性証明に用いる手段が循環的ではないかというアンリ・ポアンカレの批判も加えられた[3]。
ヒルベルト・プログラムへの展開
ヒルベルトは1920年代初頭から、古典数学を形式化し、その整合性を有限主義的手段によって証明するという形で、自らの基礎づけ計画をより明示的に提示するようになった[3]。この構想は一般にヒルベルト・プログラムと呼ばれる[3]。
この計画は、1900年の第2問題と連続している。すなわち、第2問題が算術・分析の整合性を直接に示すことを求めたのに対し、ヒルベルト・プログラムは、その要求を形式化された数学全体へ拡張し、整合性証明をメタ数学的に研究する方向へ発展させたものである[3][5]。
ゲーデルの不完全性定理

1931年、ゲーデルは「Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I」において不完全性定理を証明した[7][8]。第二不完全性定理の基本的帰結は、算術を表現できる十分に強い形式体系が無矛盾であるならば、その体系は自らの無矛盾性を表す文を内部では証明できないという点にある[3][4]。
この結果により、ヒルベルトが期待したような、形式化された数学の整合性をその体系に密接に対応する有限主義的方法だけで保証するという当初構想は、そのままでは実現できないと考えられるようになった[3][4]。ただし、第二不完全性定理がどの範囲でヒルベルト・プログラム全体の失敗を意味するかについては、なお解釈上の論点が残されている[4]。
ゲンツェンの整合性証明
1936年、ゲンツェンは「Die Widerspruchsfreiheit der reinen Zahlentheorie」において、一次のペアノ算術の整合性証明を与えた[9]。スタンフォード哲学百科事典の同項目では、この証明は、ペアノ算術には形式化できない方法、すなわち順序数 \(\varepsilon_0\) に沿う超限帰納法を用いていたと説明されている[3]。
この業績は、第2問題の歴史において画期的な意味をもつ。一方では、算術の整合性証明が高度な証明論的方法によって実際に達成されたことを示した[9]。他方では、その方法がヒルベルトの当初の有限主義をそのまま満たすかどうかという新たな問題を生み、以後の証明論や相対化されたヒルベルト・プログラムの出発点となった[3]。