ビアース川
インドを流れる河川
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語源
歴史
紀元前326年、ヒュダスペス河畔の戦いに勝利したアレクサンドロス3世の軍勢はビアース河畔で休めていた。このとき、すでに故郷を8年間離れている兵士たちはそれ以上の進撃を拒否した。アレクサンドロス大王は3日間テントに篭っていたが、兵士たちの考えが変わらないとわかると、やむなく引き返した[9][10]。ラージャシェハラのKavyamimansa[11]によると、プラティーハーラ朝のマヒーパーラ1世(在位:913年 - 944年)の治世では、王国の版図は最大になり、その北西はビアース川の上流まで達するという[12]。1285年には、チャガタイ・ハン国と奴隷王朝の間で「ビアース川の戦い」が起きた。
20世紀になると、ビアース計画によりビアース川沿岸の開発がはじめ、灌漑と水力発電のためのインフラが整備され、1974年にポングダムが、1977年にパンドーダムがそれぞれ完成した。ポングダムはタールワーラ地方の灌漑が主な目的だったが、すぐに水力発電の整備が整え、360MWの発電ができるようになった。パンドーダムはトンネルなどで河水をサトレジ川の発電所まで誘導して990MW出力の発電ができる[13][14]。
流域



ビアース川はロータング峠の南にあるクールを通るところで標高4361mに達する。その後、マンディー県を通ってカーングラー県になると標高は590mまで落ちる[6]。カーングラー県のReh近くで三手に分かれ、Mirthalを通ったところで再び合流する(標高は300mになる)。ホシアールプルで急に北に転向し、カーングラー県との境界を形作る。そのままシヴァリク山の山麓を回って南へ向かい、グルダースプルとホシアールプルの間を通る。そして、アムリトサルとカプールタラーの間を通ると、サトレジ川に合流する。サトレジ川はそのままパンジャーブ州を流れて、バハーワルプル近くのウチュでチェナーブ川と合流してパンジャナード川になり、最後はミタンコットでインダス川と合流する。
ビアース川はインダスカワイルカのインドでの唯一の生息地であり、ゴールデンマハシール、ホッグジカ、ビロードカワウソ、インドガビアルなども生息している。ポングダムのダム湖のマハラーナ・プラタープ・サガル貯水池およびポングダムから河口までの本流はラムサール条約登録地である[15][16]。



