ビナンゴナン

From Wikipedia, the free encyclopedia

フィリピンの旗 フィリピン共和国
設立 1766年
標高
75.28 m
ビナンゴナン
リサール州内のビナンゴナンの位置
リサール州内のビナンゴナンの位置
ビナンゴナンの位置(フィリピン内)
ビナンゴナン
ビナンゴナン
ビナンゴナンの位置
北緯14度27分5秒 東経121度11分31秒 / 北緯14.45139度 東経121.19194度 / 14.45139; 121.19194座標: 北緯14度27分5秒 東経121度11分31秒 / 北緯14.45139度 東経121.19194度 / 14.45139; 121.19194
フィリピンの旗 フィリピン共和国
地方 カラバルソン地方 (Region IV-A)
リサール州
設立 1766年
バランガイ 40
政府
  市長 Cecilio "Boyet" Ynares (国家人民同盟)
面積
  合計 66.34 km2
標高
75.28 m
人口
(2010)[3]
  合計 274,179人
  密度 4,100人/km2
等時帯 UTC+8 (PST)
ZIP code
1940
Dialing code 2
Income class 1st class, urban
ウェブサイト www.binangonan.gov.ph
テンプレートを表示

ビナンゴナンフィリピン共和国ルソン島カラバルソン地方リサール州の都市である。2010年時点の人口は約27.4万人で、約5.5万世帯が暮らす。面積は6634haである。 [3] [4] [2] バエ湖の長い湖岸で漁業が発達している。タリム島の西部にも漁港が有る。リサール・セメント&グランドスパンが立地する。漁業と農業が主要産業である。マニラ首都圏の都市拡大はビナンゴナンを越え、東のカルドナまで達している。ビナンゴナンは「湖沿いの最初の町」を意味する。ビナンゴナンはバエ湖の新鮮な水をマニラ首都圏に供給している。

1621年、ビナンゴナンはフランシスコ修道会によって独立教区になった。

1737年、町が設立された。

1763年スペイン軍に征服された。

1900年アメリカ支配下で町になった。

1942年、フィリピン人に案内された日本軍2名が、リサール・セメント工場を銃撃した。抵抗したゲリラは殺害された。フィリピン人はこの2名に報復し殺害した。遺体は工場に埋めたが、後に掘り返して窯で焼いた。日本軍の乗り物は虐殺を隠す為に湖に沈めた。これを受けて日本軍は町の男性全員を検査し、ゲリラ容疑者を憲兵隊が処罰した。 マニラ等から多くの避難民が押し寄せ、山やタリム島に隠れた。ファウスティノ・アンティポルダが自警団を組織し、男性は自発的に夜間警備を行った。アウグスティン将軍はゲリラ部隊を募集した。

1945年1月、日本軍はマカピリスから司令部をビナンゴナンに移した。しかし夜に現れる白い女の幽霊に怯え、1週間で立ち去った。市長はゲリラ組織の正体を日本軍に明かす事を拒み、殺害された。2月25日、フィリピン軍とゲリラが日本軍を町から排除した。この日は町の守護霊である聖ウルスラ祭が行われる。

1946年、フィリピン独立と共に町の自治権が拡大した。

人口推移

ビナンゴナンの人口
人口±% 増減
1990 127,561    
1995 140,700+1.85%
2000 187,691+6.37%
2007 238,931+3.39%
2010 249,872+1.64%
Source: National Statistics Office[3]
町役場

気候

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI