ピエール2世・ド・クルトネー
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生涯
1216年に妻の弟のラテン皇帝アンリ1世が嗣子なく死去し、ピエールが次期皇帝に選ばれ即位した。翌1217年、コンスタンティノープルに赴く途中、アルバニアでエピロス専制公テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスに捕えられ、2年間幽閉された後、死去した[1][3]。ピエールの幽閉中は、妻ヨランドが摂政を務め[2]、ピエールの死後、息子ロベールが皇帝位を継承した。
子女
最初、ヌヴェール女伯アニェス1世(ヌヴェール家)と結婚した[4]。
- マティルド1世(マオー)(1188年頃 - 1257年) - ヌヴェール女伯、エルヴェ4世・ド・ドンジーと結婚、フォレ伯ギーニュ4世と再婚。
二度目に、エノー伯ボードゥアン5世の娘でラテン皇帝ボードゥアン1世の妹のヨランドと結婚した[4]。
- マルグリット(1194年頃 - 1270年) - ナミュール女侯
- フィリップ2世(1195年 - 1226年) - ナミュール侯
- エリザベート(1199年頃 - 1269年以降) - バル=シュル=セーヌ伯ゴーシェ・デュ・ピュイゼと結婚、モンタギュー卿ウード・ド・ブルゴーニュと結婚
- ヨランド(1200年 - 1233年) - 1215年にハンガリー王アンドラーシュ2世と結婚
- ロベール1世(1201年 - 1228年) - ラテン皇帝(在位:1221年 - 1228年)
- アニェス(1202年 - 1247年以降) - アカイア公ジョフロワ2世・ド・ヴィルアルドゥアンと結婚
- マリー(1204年 - 1222年) - 1219年にニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリスと結婚
- アンリ2世(1206年 - 1229年) - ナミュール侯
- アリエノール(1208年 - 1230年) - カストル伯フィリップ1世・ド・モンフォールと結婚
- コンスタンス(1210年 - ?) - 修道女
- ボードゥアン2世(1217年 - 1273年) - ラテン皇帝(在位:1228年 - 1261年)