エルヴェ4世・ド・ドンジー
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| エルヴェ4世・ド・ドンジー Hervé IV de Donzy | |
|---|---|
| ヌヴェール伯 | |
| 在位 | 1199年 - 1222年 |
| 出生 |
1173年 |
| 死去 |
1222年1月22日 フランス王国、サン=テニャン |
| 配偶者 | ヌヴェール女伯マティルド1世(マオー)・ド・クルトネー |
| 子女 | アニェス |
| 家名 | スミュール家 |
| 父親 | エルヴェ3世・ド・ドンジー |
| 母親 | マティルド・ド・モンミライユ |
エルヴェ4世・ド・ドンジー(フランス語: Hervé IV de Donzy, 1173年 - 1222年1月22日[1])は、第5回十字軍に参加したフランスの貴族、ドンジー領主。1199年にヌヴェール女伯マティルド1世(マオー)・ド・クルトネー(ラテン帝国皇帝ピエール2世・ド・クルトネー娘)と結婚した[2]ことにより、ヌヴェール伯となった[2]。
エルヴェはピエール2世・ド・クルトネーとジアン城を巡って争っていたが、ピエールをコーヌ=クール=シュル=ロワールで破り捕縛し、1199年に和解が成立した[3]。1219年のピエールの死後、エルヴェはオセールの相続をピエールの息子ナミュール侯フィリップおよびラテン皇帝ロベールと争っていたが、最終的にオセール伯およびトネール伯となった[4]。1210年にはリエルネも獲得した。
エルヴェ夫妻はニヴェルネーやドンジー周辺地域の発展に貢献した。1209年、夫妻はベラリーにカルトジオ会修道院を創設した[5]。また、エルヴェは1212年から1215年の間に、ビリー=シュル=オワジーのムサール城を修復した。1214年にはボーリューに小修道院を創設した。
1204年から1205年の間に、エルヴェはノルマンディー、ポワトゥー、トゥーレーヌでの対イングランドの戦いにおいてフランス軍に参加し[6]、1208年にはアルビジョア十字軍に参加した[7]。1214年、ブーヴィーヌの戦いにおいてはイングランド王ジョン側として参加したが[8]、後にジョン王の仲介により、エルヴェはフランス王フィリップ2世の許しを受けた[8]。1217年、イングランドのフランス侵攻に巻き込まれた[9] 。