ピエール・カスト
From Wikipedia, the free encyclopedia
1920年9月22日、パリに生まれる。ソルボンヌ大学で文学を学ぶ。1945年、「パリ大学シネクラブ」の共同設立者として映画に関わる。
1946年、アンリ・ラングロアのもと、シネマテーク・フランセーズで働き始める。1948年メッシーヌ通りに常設館を持つまでは、当時の上映会はまだ、ラングロアのアパルトマンのバスルームなどで行われていた。
- 1948年、ジャン・コクトーを会長に、アンドレ・バザンらとシネクラブ「オブジェクティフ49」設立に参加。のちに、このときの設立メンバーであるルネ・クレマン、翌1949年同シネクラブが開催する「呪われた映画祭」の賛同者であるジャン・グレミヨン、作品が上映されたジャン・ルノワールの助監督になる。
- 1949年、グレミヨンの『白い足』(4月13日フランス公開)の助監督を経て、彼と共同監督のもと短編映画『Les Charmes de l'existence(存在の魅力)』を初めて監督、ヴェネツィア国際映画祭で短編のグランプリを受賞する。長編デビューまでに6本の短編を撮る。
- 1951年4月、『カイエ・デュ・シネマ』創刊に参加。
- 1957年5月、『カイエ』誌掲載の「フランス映画についてのディスカッション」に、バザン、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、ロジェ・レーナルト、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールとともに参加する[1]。
- 1957年11月6日、『ポケットの恋』が公開され、長編映画デビュー。同作は、コクトー的俳優ジャン・マレーが主演、ヌーヴェルヴァーグ的俳優であるジャン=クロード・ブリアリの共演のほか、アレクサンドル・アストリュックやクリスチャン=ジャック、レオ・ジョアノン、ジャン=ピエール・メルヴィル、アレックス・ジョフェといった映画監督や作家のボリス・ヴィアンまでが客演している[2]。またジャーナリストで映画批評家のフランス・ロシュが本作を脚色し、出演もしている。
- 1959年、アルベルト・モラヴィアの小説『年老いた愚か者』をドニオル=ヴァルクローズと共同で翻案した長編映画『Le Bel âge(美しい年齢)』が公開。ドニオル=ヴァルクローズ、そしてヴィアンとブリアリがまた出演している。
- 1959年7月、『カイエ』誌掲載の「アラン・レネ『二十四時間の情事』についてのディスカッション」に、ジャン・ドマルキ、ドニオル=ヴァルクローズ、ジャン=リュック・ゴダール、 リヴェット、ロメールとともに参加[3]。
- 1984年10月20日、ローマでの映画撮影の帰途の航空機上、心臓病で亡くなった。64歳没。翌日にはフランソワ・トリュフォー(52歳)、同25日には女優のパスカル・オジェ(25歳)が亡くなり、この1週間は「フランス映画悲しみの一週間」と呼ばれた。カストは、日本では監督作が一作も商業公開されず、シネクラブ上映などに留まったため、ヌーヴェルヴァーグの作家を数えあげるときにはつい外されてしまうが、ロメールと同い年のいまだ来るべきヌーヴェルヴァーグ作家である。