ピエール・マリー・ウード
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イル=エ=ヴィレーヌ県のフージェールで生まれた。1856年にイエズス会に参加し、1867年に叙階された。翌年中国に宣教師として派遣された。南京、上海で活動した。宣教の一方、東アジアを旅して、自然科学の研究にも従事した。研究の成果は、1876年から1885年の間に出版された『南京地域の貝類学』(Conchyliologie fluviatile de la province de Nanking (et de la Chine centrale) )10巻となった。外務大臣ドルーアン・ド・リュイス (Édouard Drouyn de Lhuys)の意向を受けて、1868年に上海に自然史博物館を設立し、当時中国最大の博物標本のコレクションを作り上げた。1873年から1874年に著名な博物学者、アルマン・ダヴィドやロバート・スウィンホーもこの博物館を訪れた。上海南西部の徐家匯に設立された博物館は「徐家匯博物館」と命名されたが、20世紀になって震旦大学の施設となり、「震旦博物館」となった[1]。
主な研究分野は貝類学であったが、ミンドロスイギュウ(Bubalus mindorensis )やカオナガリス属(Dremomys)などの哺乳動物の記載者となっている。1899年から1900年にタイに調査旅行した後、病気となり、療養の末中国で没した。
