ピエール・レヴォワル

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死没 1842年3月19日
フランス,パリ
ピエール・レヴォワル
Pierre Révoil
Jean-Michel Grobonによる肖像画
生誕 1776年6月12日
フランス,モンバール
死没 1842年3月19日
フランス,パリ
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ピエール・レヴォワル(Pierre Henri Révoil,1776年6月12日 - 1842年3月19日)はフランス画家である。中世の騎士物語などを題材に描くトルバドゥール様式(Style troubadour:‌吟遊詩人の意味)の画家の一人である。

リヨンで皮革職人の息子に生まれた。リヨンの実業学校(École centrale)でドナシャン・ノノットやアレクシス・グロニャール(Alexis Grognard)に絵を学んだ。1793年からリヨンの壁紙製造の工場で働き、革命期に流行した愛国的な模様の仕事をした後、パリに移り、ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房に入り、1795年からはエコール・デ・ボザールで学んだ[1]

1805年にリヨンの街を復興するナポレオンといったテーマの作品を展覧会に出展し、支配層に注目された[1]。宗教画の大作も描いたが、同じリヨン出身の画家、フルーリ=フランソワ・リシャール(Fleury François Richard: 1777–1852)とともに19世紀初めに流行したトルバドゥール様式の画家となった。

1807年にリヨンのパレ・サン・ピエールに作られた美術学校(École impériale des Beaux-arts de Lyon、後にリヨン国立高等美術学校になる)の教授に任じられた。レヴォワルが教えた学生にはクロード・ボンヌフォンイポリット・フランドランヴィクトール・オルセルらがいる。この頃から、自分や生徒の絵の資料の意味もあって、鎧や武器、美術骨とう品、絵画、文書の収集を始め、1811年には有名なコレクションとなり、有名な好古家、ミラン・ド・グランメゾン(Aubin-Louis Millin de Grandmaison)の著作で紹介された。1814年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。

帝政が崩壊した後も、復古王政のなかで地位を維持した。1818年からプロヴァンスに住んだ後、1823年にリヨンに戻り、1830年まで美術学校の校長を務めた。1828年にはレヴォワルの美術品のコレクションはルーブル美術館に寄贈された[2]

1830年のフランス7月革命で地位を失い、再びプロヴァンスに移り、その後リヨンに戻ることはなかった。パリで貧困の中死去した。

息子のアンリ・レヴォワル(Henri Antoine Révoil: 1822-1900)は建築家になった。

作品

脚注

参考文献

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