プラトーン『法律』815aによれば、ピュリケーは敵の打撃や矢をよけたり、また敵を攻撃するためのすばやい動きを模倣したもので、アウロスの演奏に合わせて踊られた。テンポは速くて軽く、これはピュリケーに由来する韻脚とされるピュリキオスにもあらわれている[7]。
クセノポーン『アナバシス』にもピュリケーは記述されている。それによれば、トラペズースにおいて軍隊が都市に到着したことを祝うための祭りでピュリケーが踊られた。
ホメーロスもピュリケーに言及し、パトロクロスの火葬において、その周囲をアキレウスが踊ったことを記している。
すべてのギリシア人がピュリケーを好んだが、スパルタ人はピュリケーを軽い軍事教練と考え、特に好んだ。この信念によってスパルタ人は子供がまだ幼いうちからこの踊りを教えた。
アテーナイの若者は体操の訓練の一部としてパライストラーでピュリケーを踊った[8]。パナテーナイア祭でもピュリケーが踊られ、競争者は成人男子・若者・少年の3つの部に分かれていた[8]。