ピロピロ
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| ピロピロ | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 企画 | 鈴木哲夫 (フジテレビ) |
| 構成 | 松田健次、ベン村さ来 |
| ディレクター |
つきざわけんじ (MEN'S) 今泉みつ子 (MEN'S) / 池田よしひろ |
| 演出 |
森本正直 (MEN'S) / 片岡K |
| 監修 | 高田文夫 |
| 出演者 |
松村邦洋 松島エリース 浅草キッド 本田理沙 江頭2:50 林家ペー 高田文夫 ほか |
| 音楽 | 佐瀬寿一 |
| オープニング | ピロピロダンス |
| エンディング |
強さの意味 → STYLE 鈴木結女 |
| 製作 | |
| プロデューサー |
古賀憲一(日本テレワーク) 石岡茂雄 (D:COMPLEX) |
| 編集 |
井戸清 (VISUALBAY) / TDKビデオセンター |
| 制作 |
日本テレワーク、MEN'S (共に制作協力) |
| 製作 | フジテレビ (制作著作) |
| 放送 | |
| 音声形式 | モノラル放送 |
| 放送国・地域 | |
| 放送期間 | 1993年4月9日 - 1993年9月24日 |
| 放送時間 | 金曜1:15 - 1:45 (木曜深夜) |
| 放送分 | 30分 |
| 回数 | 23 |
特記事項: 協力:高田文夫事務所、D:COMPLEX | |
『ピロピロ』は、1993年4月9日から同年9月24日までフジテレビで放送されたバラエティ番組である。放送時間は毎週金曜 1:15 - 1:45(木曜深夜、JST)。
『たまにはキンゴロー』、『夜鳴き弁天』と続いた高田文夫率いる関東高田組の出演シリーズ三部作最後の番組。前番組までは月曜深夜1:10 - 1:40で放送されていたが、当番組は木曜日に放送枠移動した。
この番組が始まる数か月前に松村邦洋がゴールデンアロー賞芸能新人賞を受賞し、芸能人として認知度が高まり始めた事で松村を主役に番組を企画する事になり、当時松村が飲み会などでギャグにしていたピロピロ飲みを番組タイトルとして使う事になった。
深夜番組ではありつつも、当時同局の朝に放送され話題になっていた『ウゴウゴルーガ』の様な子供向け番組風に制作。第4回までは実際に幼児から小学生の子供数人も出演していたが、収録中に泣き出してスタジオから飛び出したりしてしまうため、第5回以降からは子供を出演させない方針になる。 小さい頃に遊んだボール遊びやゲームなどを楽しむ企画が多かったが、浅草キッド(主に玉袋筋太郎)や男同志(コンタキンテ・江頭2:50)などに松村がイジメられる事がほとんどだった。
「思い出して描いてみよう」というお絵かきコーナーでは、水道橋博士が「みんな描いてますか?」と尋ねると松村や江頭が「毎晩かいてますよ!」とお絵かきという意味ではなく自慰行為の「かく」という意味で答えるため、いつもメガホンで突っ込まれていた。
高田文夫は当番組ではメイン出演者ではなく、アドバイザー的な位置で出演し松村のフォローに対応する事がほとんどだった。ただ浅草キッドとの「OJ-KGB」という芸能界(主にお笑い界)の暴露話をするショートコーナーでは、今までテレビ番組では扮装などしてこなかった高田が怪しい取締幹部の様な格好で出演し、水道橋博士から「高田先生、こういう感じで出演するの初なんじゃないですか?」と言われていた。
松村と松島エリースが二人で進行する「OJ(お笑いジャーナル)」というコーナーでは当時同局の水曜夜10時に放送していた『MJ -MUSIC JOURNAL-』の真似であり、セットが低予算風に作られていて、本家MJで流れる電光掲示板的テロップが当番組では紙で作られたロールテロップを江頭が一生懸命手巻きで回してロールを流していた。第1回目に関しては「制作著作 フジテレビ」以外のテロップは全て手書きだった[1]。
第7回で松村とエリースのトーク中に、スタジオを覗きに来ていた生島ヒロシが高田と共に「風まかせ〜バウバウ」と言いながら乱入した。この時エリースに「誰あの人?」と言われ、高田が前番組までレギュラー出演していた「福井謙二」の名を出して嘘を吹き込んだ事があった[2]。
オープニングテーマは番組内で作られた「ピロピロ体操」。第7回から松村が歌う「ピロピロダンス」(作詞:高田文夫・作曲:佐瀬寿一)[3]。エンディングテーマは鈴木結女の「STYLE」(※第3回から)。第1回と第2回は鈴木結女の「強さの意味」。
また番組内で、松村が幼少期に幼稚園で歌っていた「おあつまり(みんなが集まる際に歌っていた曲)」という歌をみんなで歌ったりもした。この歌は高田と松村が『風まかせ 新・諸国漫遊記』に出演し、松村の故郷里帰り企画の際に紹介された。
当番組の演出スタッフは、つきざわけんじ班[4]と片岡K班の2班に分かれていた。2本撮り収録形式のため 、つきざわ班は第1・2・5・6・9・10・13・14・17・18・21・22回を担当、片岡班は第3・4・7・8・11・12・15・16・19・20・23(最終)回を担当と交互に制作していた[5]。