ピードモント・ブルース
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| ピードモント・ブルース | |
|---|---|
| 様式的起源 | ブルース、ラグタイム、ピアノ・ブルース |
| 文化的起源 | 1920年代、アメリカ合衆国東海岸 |
| 使用楽器 | アコースティック・ギター、ハーモニカ、バンジョー、他 |
| 関連項目 | |
| ミュージシャンのリスト | |
ピードモント・ブルース(Piedmont blues、イースト・コースト・ブルースなどとも称される)はアメリカ合衆国東部アパラチア山脈南部の山麓部(ピードモント台地)発祥のブルースのスタイルである[1][2]。ジョージア州北部からバージニア州北部に跨った地域である[3]。これらの地域はディープサウスと比較しても白人と黒人の経済圏、文化圏が重なり合う部分が多く、その影響が音楽にも現れている。基本的にアコースティックで演奏され、ゴスペル、フィドル・チューン、カントリー、ラグタイムなどの要素が入り混じる[4]。
ピードモント・ブルースを特徴づけるのは基本的にはギターのスタイルであり、親指で低音弦(ベース、リズム)を[5]、人差し指その他の指で高音弦(シンコペーション・メロディー)を交互に弾くフィンガーピッキング奏法を特徴とする[6]。そのサウンドは、ラグタイムあるいはストライド・ピアノにも類似するものである[6]。ブルース研究家のピーター・B・ロウリーがこの呼称を生み出した。彼は民俗学者のブルース・バスティンと共同で発案したものだとしている[7]。ピードモント・スタイルは、ラグタイムのリズムが基本になっているという点で、他のスタイル、特にミシシッピのデルタ・ブルースとは異なるものである[5]。

ピードモント・スタイルの基礎となったものは、南部全域において一般的だったと思われる古い「フレイリング(frailing)」または「フラミング(framming)」と称されるギター・スタイルから始まり、「パーラー・ギター」のテクニックや、初期のバンジョー奏法、ストリング バンド、ラグタイム の要素も含まれていた。ピードモント特有の点は、ブラインド・ブレイクやレヴランド・ゲイリー・デイヴィスなどのギタリストの影響を受けたプレイヤーたちが、ラグタイムをベースとした古い技法を独特かつポピュラーな形でブルースに取り入れたことだった[8][9]。
地理
レコードのリリース
ブラインド・ブレイク、ジョッシュ・ホワイト、バディ・モス、ブラインド・ボーイ・フラーといったレコーディング・アーティストは、地域全体で多くのレコードを売り上げ、ピードモント・スタイルを広めるのことに貢献した。[6] このスタイルは、1920年代半ばから1940年代半ばまでの約20年間、全米のアフリカ系アメリカ人の聴衆の間で人気を博した。ブラインド・ボーイ・フラーは1940年、「Step It Up and Go」を録音した[11]。
第二次世界大戦後
ピードモント・ブルースは、アメリカの黒人ポピュラー音楽の一形態としてであったが、第二次世界大戦後、全米的を通じ人気は衰退していった。しかし1950年代後半には、アメリカのフォーク・ミュージックのリバイバルやフェスティバルで、当初はジョッシュ・ホワイト、レヴランド・ゲイリー・デイヴィス、ブラウニー・マギー、サニー・テリーといった著名なピードモント・ブルースのアーティストによって広く演奏されるようになり、続いてシーファス&ウィギンズやジョン・ジャクソンといった人々によっても演奏された[6][12]。
ジョージ・ミッチェル、ピーター・B・ロウリー、ティム・ダフィーといった音楽学者が年老いていくピードモント・ブルース奏者のレコーディングを収集する一方、ステファン・グロスマン、ロイ・ブック・バインダー、ヨーマ・コーコネン、ポール・ジェレミア、ケブ・モ、マイケル・ローチ、サミュエル・ジェイムズ、エリック・ビブ、ライ・クーダー、デヴィッド・ブロムバーグ、ガイ・デイヴィスなどの次の世代のミュージシャンたちがピードモントの伝統を引き継ぎ、しばしば古いピードモントの巨匠たちに「師事」した[6]。ピードモント・ブルースのフィンガーピッキング・スタイルのギター演奏は、ドク・ワトソンやラルフ・マクテルといったフォーク・ミュージシャンやポップ・ミュージシャンにも影響を与えている[13]。アーロ・ガスリーは、「アリスのレストラン」におけるモノローグで、延々とピードモント・スタイルのギターをバッキングに使ったことで知られている。これは長時間繰り返し演奏しやすいためであった[14]。