フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ

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フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ
Juan González de Mendoza
ポパヤン司教
『シナ大王国誌』より漢字の説明(実際にはエスカランテの本のまる写し)
教会 カトリック教会
教区 ポパヤン
着座 1608年11月17日
離任 1618年2月14日
前任 フアン・デ・ラ・ロカ
後任 アンブロジオ・バレーホ・メヒア
他の役職 リーパリ島司教(1593年から1599年)
チアパス司教(1607年 - 1608年)
聖職
司教叙階 1593年6月7日
個人情報
出生 1545年
スペイン帝国ラ・リオハ、トレシージャ・エン・カメーロス
死去 1618年2月14日
ヌエバ・グラナダ王国、ポパヤン
国籍 スペイン
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フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ(Juan González de Mendoza、1545年 - 1618年2月14日[1])はスペインアウグスチノ会修道士、司教。16世紀ヨーロッパで書かれた中国に関する代表的な専門書である『シナ大王国誌』の著者として知られる。

ゴンサーレス・デ・メンドーサはスペイン北部のトレシージャ・エン・カメーロスに生まれた[1]。はじめは軍人だったが、後にアウグスチノ会にはいった。

1583年に教皇グレゴリウス13世の命を受けて中国に関する資料を収集し、その結果を『シナ大王国誌』として1585年にローマで出版した[2]

1593年から1599年までリーパリ島の司教だった。1607年にメキシコチアパス司教、翌1608年にヌエバ・グラナダ王国(現コロンビア)のポパヤン司教に任命され、没するまでその職にあった[1]

シナ大王国誌

脚注

参考文献

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