フェルナン・モセ
From Wikipedia, the free encyclopedia
1919年に教員資格試験(アグレガシオン)で、英語の成績が3位になった[2]フェルナン・モセは、ウェールズのバンガー大学の講師であった。その後、ニースとナンシーの高等学校で教鞭を執った。1926年には、高等研究実習院の研究ディレクターに任命された。1938年、モセは、もっぱら英語の迂言形 (formes périphrastiques) を論じた博士論文を通し、博士号を取得した。1948年には、学術誌『Études germaniques』の共同編集長となった。1949年には、コレージュ・ド・フランスのゲルマン言語および文学の教授に任命された[1]。
モセは、アルフレッド・ジョリヴェとともに、エディション・オービエ=モンテーニュが出版したゲルマン言語文献学叢書 (la Bibliothèque de philologie germanique) を監修した。
第一次世界大戦中に歩兵将校であったフェルナン・モセは、レジオンドヌール勲章を授与された。1940年3月、モセは、ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作[3]において、語学力を発揮し[2]、「困難な条件下でノルウェーからフランスへの重水の輸送を成功」させた。また、占領下のパリでの秘密活動により、レジスタンス・メダルを獲得した[1]。モセは、全国中等教育連合 (SNES) の労働組合員であり、国民教育高等評議会 (Conseil supérieur de l'éducation nationale) のメンバーでもあった[2]。