フォッカー T.VIII
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運用の歴史
本機は1938年の初飛行後に量産に入り、11機がオランダで就役した。ドイツのオランダ侵攻の時点で9機がフランスの基地に配置替えとなり、1940年5月22日にイギリスへ逃れてサウスウェールズのペンブローク・ドックに駐留するen:Coastal Command隷下英第320(オランダ)飛行隊の基礎となった。最終的にこれらの機体は補修部品の欠乏により退役した。一方でドイツ側はフォッカー社の工場で生産中の機体を完成させ、トラフェミュンデでの評価試験後にこれらを黒海の偵察、捜索救難、対潜活動に使用した。
1941年5月6日に4名 - オランダ陸軍航空旅団所属の元少尉Govert Steenと元伍長Evert Willem Boomsmaが、フォッカー社の技術者Wijbert Lindemanと元オランダ陸軍の少尉Jan Beelaerts van Bloklandと共にアムステルダムのアイのMindervahavenに舫ってあったフォッカー T.VIIw KD+GQ[1]を水上に引き出した。夜明け方に何とか離水し(戦闘機パイロットのSteenはこの機種の操縦経験は無かった)、イギリスへ渡りイギリス側の対空砲火を避けながらケント州のブロードステアーズに着水した[2][3]。Beelaerts van BloklandとLindemanはイレーネ王女旅団に参加し、ノルマンディー上陸作戦時にはBeelaerts van Bloklandがこの部隊の指揮官となっていた[4]。一方Steenは英第129飛行隊に入り、1942年6月5日に撃墜されて戦死するまでに79回の出撃に参加した[5]。
派生型
- T.VIII W/G
- 木金混合構造。19機製造。
- T.VIII W/M
- 全金属製。12機製造。
- T.VIII W/C
- 高出力エンジンを搭載し、大型化された機体。フィンランドから5機が発注されたが、ドイツ空軍が鹵獲して使用。