シュトゥットガルト 出身。シュトゥットガルト大学 中退。1980年代に平和運動 に参加した後、1985年 から緑の党に加わっている。1994年 にケルン選挙区から出馬してドイツ連邦議会に初当選。
フォルカー・ベックは有名な同性愛者 でもあり、ドイツ同性愛者連盟 (Lesben- und Schwulenverband in Deutschland (LSVD ))のスポークスマンを務めた経緯があり、同性結婚 に賛同するキャンペーンを行ったことで知られている。また、「ドイツの登録パートナーシップの父」としばしば引き合いに出される。パートナーのジャック・テシエ とケルン およびベルリン 、パリ に在住していたが、テシエは2009年7月に死去した。ケルン在住者らしく、熱狂的なカーニヴァル 参加者でもある。
彼は、同性愛者のカップルの平等権のために1980年 代以来闘ってきた。最近彼は、民法、労働における人種・民族・性別・宗教・年齢・障害による差別撤廃を目指す「反差別法」を主唱している。さらにベックのイニシアチヴによりドイツ連邦議会においてナチス・ドイツにより迫害された同性愛者の追悼記念碑建設が決定された。この記念碑はベルリンの中心部に建設される予定である。2001年から2004年まで、党の代表としてテロ対策法案や2005年に発効した新移民法の審議に参加。ベックはタフ・ネゴシエイターとしても知られており、同盟90/緑の党のビュティコーファー党首が連立相手のドイツ社会民主党 への譲歩に傾いたのを押しとどめて緑の党の方針を貫かせた。
2005年、ワルシャワでの同性愛者デモに参加する、ベックら緑の党の国会議員
2005年、ポーランド の首都ワルシャワ で、同国のレフ・カチンスキ 大統領により禁止されていたゲイのデモ行進に参加(カトリック教徒 の多いポーランドでは同性愛への忌避感が強い)。2006年 5月27日 、ベックはモスクワ における同性愛者のデモに参加中、同地の極右に投石され負傷したうえ、このデモが市長により禁止されていたため警察によって拘束されたreport from moscow 。翌年もモスクワでの同デモに参加し、市役所に抗議文を渡そうとして拘束されている。ベックはまた、アンディジャン 虐殺事件に関する国際的な調査を許可しないウズベキスタン 政府に抗議して、欧州連合 による同国の制裁に賛成した。さらにドイツ国内に住むムスリム の同権運動にも加わっている。
その他ベックはナチス の犠牲者に対する補償問題で重要な役割を演じており、「記憶・責任・将来」財団(通称:奴隷労働補償財団)設立に尽力した。
2016年3月、違法薬物であるメタンフェタミン を所持している疑いで捜索を受け、全ての党職を辞職した。ドイツ連邦議会により不逮捕特権を停止されたが、微罪であったため4月に7000ユーロの支払いと引き換えに審理は停止された。この影響で州比例代表の候補者リストから落選し、2017年ドイツ連邦議会選挙 に出馬できず、議席を失った。2017年10月1日、同性婚法の施行当日、パートナー関係にある建築家アドリアン・ペトコフと結婚した。