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フシチイシュ

ロシアの村 From Wikipedia, the free encyclopedia

フシチイシュ[1]、ヴシチジ[2](ロシア語: Вщиж:音写・フッシーシュ)は、ロシア・ブリャンスク州ジューコフカ地区 (ru) の村落 (село / セロ) である。またシャーモルディノ村落移住地 (ru) [注 1]を構成している。デスナー川の右岸に位置し、人口は2010年の時点で26人。中世には都市 (город / ゴロド) だった。

年代記の初出1142年
村13世紀
旧名シチイシュなど
概要 フシチイシュ Вщиж, 座標 : 北緯53度25分12秒 東経33度49分48秒 ...
フシチイシュ
Вщиж
座標 : 北緯53度25分12秒 東経33度49分48秒
歴史
年代記の初出 1142年
村 13世紀
旧名 シチイシュなど
行政
国 ロシアの旗 ロシア
 連邦管区 中央連邦管区
 行政区画 ブリャンスク州の旗 ブリャンスク州
 地区 ジューコフカ地区
 村落移住地 シャーモルディノ
 村落 フシチイシュ
人口
人口 (2010年現在)
  村落域 26人
その他
等時帯 モスクワ時間 (UTC+3)
ナンバープレート 32
位置図
フシチイシュの位置(ヨーロッパロシア内)
フシチイシュ
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歴史

中世の都市・フシチイシュ(シチイシュなどとも記されている)は、11世紀にチェルニーゴフ公国の分領公国の首都としてその名が史料上に見られる。都市は現在の村域の西部に形成されていた。自然地理的にいえば、ストク川 (ru) の河口の、高く傾斜のあるデスナー川の川岸に面した地域である。

1238年の春のモンゴルのルーシ侵攻によってフシチイシュは徹底的に破壊され、都市は姿を消した。その後村落が再建され、現在に至っている。村としてのフシチイシュに関する記録は、1680年に、イヴァン・ヤーコヴレフ・ジノーヴィエフという名の下に出された勅令(グラーモタ (ru))の中に言及がある[3]。

考古学の発掘調査

フシチイシュのデティネツに面する、中世の教会跡地に建てられた十字架

1840年代に、A. ウヴァーロフ (ru) によって、村の中心にある「聖なる丘(クルガン)」[注 2]と呼ばれる遺跡の発掘調査が行われた。遺跡からは中世の教会施設の遺構が発見された。祭壇の近くで発見された人骨は、フシチイシュ公スヴャトスラフのものとみなされた[3]。また、「フシチイシュの炉」[注 3]と呼ばれる遺構は、1238年春のフシチイシュ陥落の際の遺跡として注目される。炉は食器を焼く最終工程の際に押しつぶされており、未完成の食器が残されていた。ソビエト連邦の考古学者B. ルィバコフ (ru) も、1940年、1948年 - 1949年に発掘調査を行っている[4]。

脚注

参考文献

外部リンク

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