フシチイシュ
ロシアの村
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歴史
→「フシチイシュ公国」も参照
中世の都市・フシチイシュ(シチイシュなどとも記されている)は、11世紀にチェルニーゴフ公国の分領公国の首都としてその名が史料上に見られる。都市は現在の村域の西部に形成されていた。自然地理的にいえば、ストク川 (ru) の河口の、高く傾斜のあるデスナー川の川岸に面した地域である。
1238年の春のモンゴルのルーシ侵攻によってフシチイシュは徹底的に破壊され、都市は姿を消した。その後村落が再建され、現在に至っている。村としてのフシチイシュに関する記録は、1680年に、イヴァン・ヤーコヴレフ・ジノーヴィエフという名の下に出された勅令(グラーモタ (ru))の中に言及がある[3]。
考古学の発掘調査
1840年代に、A. ウヴァーロフ (ru) によって、村の中心にある「聖なる丘(クルガン)」[注 2]と呼ばれる遺跡の発掘調査が行われた。遺跡からは中世の教会施設の遺構が発見された。祭壇の近くで発見された人骨は、フシチイシュ公スヴャトスラフのものとみなされた[3]。また、「フシチイシュの炉」[注 3]と呼ばれる遺構は、1238年春のフシチイシュ陥落の際の遺跡として注目される。炉は食器を焼く最終工程の際に押しつぶされており、未完成の食器が残されていた。ソビエト連邦の考古学者B. ルィバコフ (ru) も、1940年、1948年 - 1949年に発掘調査を行っている[4]。