フジフェリー
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1969年秋に三井物産から大阪商船三井船舶に対して東京湾フェリーが企画していた東京-清水-名古屋間でのカーフェリー計画に参加要請があり、東京湾フェリー親会社の京成電鉄と商船三井の間で対等条件での会社設立に合意し[6]、商船三井と京成のほか近畿日本鉄道・名古屋鉄道らの出資を受け設立[1]。日本沿海フェリー・大洋フェリー・九州急行フェリーとともに「オレンジファンネルグループ」を形成し、1975年10月までに日本列島を一周する8路線のフェリー航路網の構築を計画していた[7]。
しかし当初の航路計画では採算を見込めず、混雑をきたしていた東名高速道路の補完需要や[8]、三重県の中南勢工業開発計画や首都圏から伊勢志摩地域への観光ニーズに対応するべく[9]、東京-松阪-名古屋航路に変更し1973年就航を目標とした[4]。しかし松阪港の浚渫工事に際し地元漁業組合との補償がこじれ就航は1974年に延期され[4]、延期中に竣工した新造船いせ丸・しま丸は日本沿海フェリーに用船され東京-苫小牧航路にて「さっぽろ丸」就航までの繋ぎやエンジントラブル時の代替船として用いられた[2]。
1974年10月に就航[2]、しかしオイルショック直後で公害問題の兼ね合いから紀勢地方での工業開発計画が縮小され採算の見込みが立たず[8]、バイパス効果の少なさから陸上交通機関との競争に破れたこともあり[10]、1977年度には累積損失が46億400万円に登り[11]、九州急行フェリーに事業譲渡の上で解散となった[12]。