フラワーボウル
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ブルックミード・ステーブル名義のもとで競走生活を送った馬で、競走馬時代にはデラウェアハンデキャップとレディーズハンデキャップでステークス競走勝ちを収めている。
引退後は1957年よりブルックミード・ステーブルで繁殖牝馬となった。この翌年に生まれた第1子がボウルオブフラワーズ(Bowl of Flowers)で、同馬は2歳時から活躍、翌年にはエイコーンステークスとコーチングクラブアメリカンオークスの牝馬二冠を達成する大きな成果を挙げた。
1962年にブルックミード・ステーブルの所有者であったイザベル・ダッジ・スローンが死亡すると、フラワーボウルはウィンストン・ゲストの手に渡り、その後キングランチを運営するジョン・W・ガルブレスに購入された。このガルブレスの牧場で最初に生まれた産駒がグロースターク(Graustark 1963年生、牡馬)で、同馬もまた競走馬として2歳から活躍した。クラシック出走前に怪我により引退したが、種牡馬としても成功し、ダービーダンファームの生産の柱となった。
フラワーボウルは1968年4月16日、グロースタークの全弟にあたるヒズマジェスティ(His Majesty 1968年生、牡馬)を産んで間もなく死亡した。ヒズマジェスティはグロースタークと同様に種牡馬として活躍し、リボーの系統を伸ばした代表的な種牡馬となっている。
フラワーボウルの子孫の牝系からは、まだこれといった著名な競走馬は出ておらず、ボウルオブフラワーズの子に種牡馬として成功したウィスキーロード(Whiskey Road 1972年生、牡馬 父ニジンスキー)がいる程度である。
フラワーボウルの遺骸はダービーダンファームの墓地の、アイドルアワーストックファーム時代の名牝ブロッサムタイムの隣に埋葬されている。
評価
おもな勝鞍
※当時はグレード制未導入
- 1956年(4歳)
- デラウェアハンデキャップ、レディーズハンデキャップ
表彰
- 1978年 - ベルモントパーク競馬場に、フラワーボウルの名を冠したフラワーボウルインビテーショナルステークス(G1)が創設される。