フランク・ウィグルスワース・クラーク
アメリカボストン出身の地球化学者
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生涯

1847年3月19日、アメリカマサチューセッツ州のボストンに商人であった父サミュエル(Samuel)と母アビー(Abby)の元に生まれるが、母はクラークが幼い頃に他界してしまう。
その後、ハーバード大学に進み、元々は分析学者であったが[1]1869年にコーネル大学にて化学を教え[2][3]、1874年にはシンシナティ大学で教授を務め[3]、1883年にはワシントン大学で鉱物化学の教授を務める。その他、ハワード大学でも教鞭を執った[1]。
万国原子量協会の議長を務めたが1884年から1925年にかけてアメリカ地質調査所化学部の部長となり、北アメリカの土壌について研究、岩石などの莫大な化学分析を行った[3]。
1893年、アメリカ化学会の要求でアメリカ初となる原子量表を作成する。
1901年、アメリカ化学会会長となる。
なおクラークは化学分析の中より信頼のあるデータのみを収集し、1908年から1924年にかけて第5版からなる『地球化学資料(The Data of Geochemistry)』を発表した。
1931年5月23日、メリーランド州のチェビーチェイスで亡くなる。