フランソワ1世 (サン=ポル伯)
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生涯
ヴァンドーム伯フランソワとサン=ポル女伯マリー・ド・リュクサンブールの間に生まれた。1515年のマリニャーノの戦いにおいて、フランス王フランソワ1世とともに、バヤール卿(Pierre Terrail de Bayard)により騎士に叙任された。
フランス軍総司令官(Capitaine général)として、1521年にメジエールの戦いに参加し、1524年にはボニヴェ卿(Guillaume Gouffier de Bonnivet)およびバヤール卿とともにセージア川の戦いに参加した。1525年のパヴィアの戦いでは捕虜となった。
1527年、フランソワはドーフィネ知事となった。サヴォイアおよびピエモンテ遠征においても主導的な立場に立ち、1529年の貴婦人の和約まで軍を指揮した。1533年にマルセイユで行われたフランス王フランソワ1世とローマ教皇クレメンス7世との会見にも立ち会った。また、2世紀の間絶えていたグルノーブル大学を、1542年9月1日に式典を行い再開させた[1]。
第四次イタリア戦争において、フランソワはサヴォイア侵攻を指揮した。1543年には、ピカルディーでイングランドおよびスペインと戦った。フランソワは1544年のチェレゾーレの戦いに反対したが、ブレーズ・ド・モンリュック(Blaise de Monluc)が王を説得し、戦いは行われた。
