フランツ・シェーンフーバー
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| フランツ・シェーンフーバー Franz Schönhuber | |
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フランツ・シェーンフーバー | |
| 生年月日 | 1923年1月10日 |
| 出生地 |
バイエルン州トロストベルク |
| 没年月日 | 2005年11月27日(82歳没) |
| 死没地 |
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| 所属政党 | 共和党 |
| 在任期間 | 1985年 - 1994年 |
フランツ・クサーヴァー・シェーンフーバー(Franz Xaver Schönhuber、1923年1月10日 - 2005年11月27日)は、ドイツの極右政治家、ネオナチ。1983年に誕生した右派政党「共和党」(Die Republikaner(REP))創設メンバーの1人で、1985年から1994年まで党首(2代目)を務めた。
1923年1月10日[注 1]ドイツ国(ヴァイマル共和政)のバイエルン州トロストベルク(Trostberg)に生まれた。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の青少年団体「ヒトラーユーゲント」(HJ)に所属した後の1942年(19歳)武装親衛隊(Waffen-SS)へ入隊した。
第二次世界大戦(独ソ戦)後期の1944年秋、SS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」(Waffen-Grenadier-Brigade der SS « Charlemagne »:武装親衛隊のフランス人義勇兵旅団。後に師団昇格)にドイツ人将兵の1人として所属しており、第57SS所属武装擲弾兵連隊第9中隊で戦闘訓練教官を務めていた。なお、1945年2月下旬~3月の間に「シャルルマーニュ」師団が出陣したポメラニア戦線には従軍していない[1]。
武装親衛隊における最終階級はSS伍長(SS-Unterscharführer)であり、大戦中に二級鉄十字章(Eisernes Kreuz II. Klasse)を受章した[1]。
戦後

戦後は記者や司会者としてキャリアを積み上げるも回顧録でナチスを擁護したとの非難を受けた。その後アルミン・モーラーなどと意気投合し、1983年11月26日、フランツ・ハンドロス(Franz Handlos)らと共に「共和党」(Die Republikaner(REP) / 党本部バイエルン州ミュンヘン)を創設した。
1985年から共和党2代目党首を務めた。この時期の共和党はフランスの極右政党「国民戦線」(FN)の影響を受けつつ、反共主義・反米主義を掲げた。そして1989年の欧州議会議員選挙で共和党は5%阻止条項を突破して欧州議会入り(ドイツにおける欧州議会議席数78のうち6議席を獲得)し、戦後の西ドイツで初めて全国レベルの選挙で議席を獲得した極右政党となった。
その後、ベルリンの壁崩壊からドイツ再統一以降の共和党は(一時期を除き)選挙で連敗が続き、さらに党内でシェーンフーバーを穏健過ぎるとする急進派との内紛が生じた。1994年もしくは1995年にシェー共和党を去り、3代目党首にはロルフ・シリエレル(Rolf Schlierer)が就任した。