フランツ・フォン・シュトゥック
ドイツの画家、彫刻家、版画家、建築家
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略歴
1863年にテッテンヴァイス(ニーダーバイエルン地方)に生まれる。1878年から1881年までにミュンヘンの工芸学校(Kunstgewerbeschule)で版画家のフェルディナント・バルト(Ferdinand Barth)に学び、1882年から1884年までミュンヘン美術院で、ヴィルヘルム・フォン・リンデンシュミットとルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ[1][2]。
ミュンヘンの絵入り雑誌『Fliegende Blätter』の挿絵を描き、マルティン・ゲルラッハ(Martin Peter Gerlach)が創立した美術出版社のために働き有名になり[3]、象徴主義の画家、アルノルト・ベックリンの影響を受けた彩画をた1889年にミュンヘンのガラス宮殿の展覧会に出展し、金メダルを受賞した。
1889年にパリ万国博覧会で金賞を受賞し、ミュンヘンに定住して画家として活動した。神話に取材した寓意的な絵や、宗教画、肖像画を描いた、分離派(ミュンヘン分離派、1892年)の創始者の一人である。1893年にシカゴ万国博覧会でメダルを獲得した。
1895年からミュンヘン美術院の教授となり、教え子にはパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ヨゼフ・アルバース、ハンス・プルマンなどがいる。1900年のパリ万国博覧会でもメダルを獲得した。社交界の中心人物でもあり、多分野での活躍によって「芸術家の王様」と呼ばれた。1905年12月9日にバイエルン王摂政から騎士の称号を授与された。
1897年にアメリカ人女性と結婚し、同年から1898年までヴィラ・シュトゥックを設計した。
作品
- Die Neckerei 「からかい」
- Der Krieg 「戦争」
- Die Sphinx 「スフィンクス」
- Die Sünde 「罪」1893 - ノイエ・ピナコテーク蔵
- アマゾーネ(彫刻)
ギャラリー
- 『罪』(1893年) ノイエ・ピナコテーク
- 『スフィンクス』(1904年)ヘッセン州立博物館
- 『サロメ』(1906年) レンバッハハウス美術館
- 『シーシュポス』(1920年)