フリードリヒ1世 (上ロートリンゲン公)
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954年、フリードリヒ1世はユーグ大公とハトヴィヒ・フォン・ザクセンの娘ベアトリクスと結婚し[2]、持参金としてロレーヌのサン=ドニ修道院からの収入を受け取った。シャンパーニュ公領からの侵入を阻止するため、フリードリヒは960年にオルネン川沿いに城を築き、サン=ミエルの没収されていた領地を占領した[3]。また、トゥール司教と領地を交換した。このように、フリードリヒ1世は自身の封土であるバル伯領をつくり、アルデンヌ家のうちのアルデンヌ=バル家の家祖となった。
ロートリンゲン公領はケルン大司教ブルーノが支配し、ブルーノは大公と呼ばれていた。959年、ブルーノは兄神聖ローマ皇帝オットー1世と協調してロートリンゲン公領を2つに分割し、ゴットフリート1世を下ロートリンゲン副伯に、フリードリヒ1世を上ロートリンゲン副伯に任じた。977年にブルーノが死去し、フリードリヒ1世とゴットフリート1世はそれぞれ公爵となった。
公爵として、フリードリヒ1世はサン=ディエ=デ=ヴォージュとモワンムティエの改革を監督した[4]。