ヴィゲリヒ
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ヴィゲリヒ(Widiacus)は、トリーアで書かれたロタリンギア王ツヴェンティボルトからの手紙の中で、899年に有力な伯爵(comes venerabilis)として言及されている[1]。
東フランク王ルートヴィヒ4世が発行した902年9月19日付の文書より、ヴィゲリヒがトリーアに対し伯としての権限を持っていたことが分かる[2]。
ヴィゲリヒは902年および909年にビドガウ伯[3]、915/916年からはロタリンギア宮中伯でもあった[4]。
また、ヴィゲリヒはメヘレンの聖ルモルドゥス修道院(リエージュ司教の領地として)とアスティエール修道院のフォークタイを領有し、911年から915年の間に西フランク王シャルル3世が作成した文書において、ヴィゲリヒと息子アダルベロンに認められている[5]。
ヴィゲリヒはアスティエール修道院を創建し、同修道院に埋葬されたとみられる。