フレデリック・トレンチ (第3代アシュタウン男爵)

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第3代アシュタウン男爵、1908年ごろ。

第3代アシュタウン男爵フレデリック・オリヴァー・トレンチFrederick Oliver Trench, 3rd Baron Ashtown1868年2月2日1946年3月20日)は、アイルランド貴族保守党に属し、アイルランド貴族代表議員を務めたが[1]、政治活動の支出により破産し、議員を失職した[2]

フレデリック・シドニー・チャールズ・トレンチ閣下Hon. Frederic Sidney Charles Trench、1839年ごろ – 1879年3月2日、第2代アシュタウン男爵フレデリック・トレンチの長男)と妻アン(第3代クランカーティ伯爵ウィリアム・ル・プア・トレンチの娘)の息子として、1868年2月2日にゴールウェイ県で生まれ、4月5日にキルコンネル英語版で洗礼を受けた[1]イートン・カレッジで教育を受けた後、1887年10月22日にオックスフォード大学モードリン・カレッジに入学した[3]

1880年9月12日に祖父が死去すると、アシュタウン男爵位を継承した[1]。1883年時点でヨークシャーに約6,400エーカーの領地(年収約7,700ポンドに相当)、アイルランド(主にリムリック県ゴールウェイ県ティペラリー県ウォーターフォード県)に約37,200エーカーの領地(年収約27,000ポンドに相当)を所有した[1]

地主として1900年から1901年にかけて領地における放牧の制度を改革し、技術を改善しつつ、半独立の牧人を週給をもらう労働者に置き換えた[4]。この変更を拒否した牧人は解雇され、代わりがスコットランドから雇われた[4]。これにより現地の牧人協会や国政政党のアイルランド統一連合英語版はアシュタウン男爵の領地で働くことを拒否するボイコット運動を起こしたが、アシュタウン男爵は財力をもって領地に製材所などを建設して雇用を維持、現地住民からの支持を勝ち得ることでボイコット運動は効果が上がらなかった[4]。1904年にはウォーターフォード県の邸宅で爆弾が爆発し、アシュタウン男爵はボイコット支持者の仕業だと主張した一方、アイルランド国民党英語版王立アイルランド警察隊は男爵の自作自演と主張した[4]。アシュタウン男爵は自作自演の疑いで裁判にかけられたが、証拠不十分により無罪放免となった[4]。1908年11月4日にアイルランド貴族代表議員に選出された[5]貴族院では保守党に属した[1]

アシュタウン男爵は帝国プロテスタント連盟(Imperial Protestant Federation)会長を務めたほか、1905年から1910年まで連盟の会誌である『Grievances from Ireland』の編集者を務めた[4]。連盟が1906年に出版した『The hidden power behind the Irish nationalist party』も通説では男爵の著作となっている[4]。前者はイギリスがアイルランド民族主義を主張する団体を鎮圧せず、野放しにすることへの不満を述べる著作で、後者はアイルランド民族主義をヒバーニアン友好団体英語版による陰謀だとする陰謀論の著作である[4]。また1914年から1916年にかけてイギリスの週刊誌『アウトルック』への投書で「地主を駐留軍として(アイルランドに)植民した経緯があるイギリスは、地主を無条件で支持すべきであり、度しがたいほど不忠な民衆の関心を買うために地主を犠牲にすべきではない」と主張し、土地購入法英語版を「忠臣を金で国から去らせる」と批判した[4]。『アイルランド人名事典』はアシュタウン男爵の主張を19世紀初の政権中枢における主流派の主張が非妥協的に先鋭化した結果であるとした[4]

政治活動に伴う出費により1910年に破産した[4]。破産にもかかわらず、1911年にゴールウェイ県議会英語版議員に選出されたが[4]、貴族代表議員のほうは1915年10月28日に破産により失職した[2]。1922年に男爵の所有する、ゴールウェイ県ウッドローン・ハウス英語版ベルファストからの難民の一時滞在施設として徴用されたが、のちに男爵は賠償を受け、ウッドローン・ハウスを返還された[4]

1924年、2度にわたって鉄道客車で男子学生に性的暴行をした疑いで起訴された[4]。アシュタウン男爵は人と話すときに相手のひざや背中を叩く癖が勘違いされたと主張した一方、法的には暴行が成立していると認め、罰金刑に処された[4]。この事件以降、アシュタウン男爵は政治活動を控えた[4]

1946年3月20日に死去、長男に先立たれたため次男ロバート・パワーが爵位を継承した[6]

家族

出典

外部リンク

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