フロリンダ (ヴィンターハルター)

From Wikipedia, the free encyclopedia

製作年1852年
寸法179.3 cm × 243.9 cm (70.6 in × 96.0 in)
『フロリンダ』
フランス語: Florinda
英語: Florinda
作者フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
製作年1852年
種類油彩キャンバス
寸法179.3 cm × 243.9 cm (70.6 in × 96.0 in)
所蔵オズボーン・ハウスロイヤル・コレクション)、ワイト島

フロリンダ』(: Florinda, : Florinda)は、19世紀のドイツ出身の画家フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターが1853年に制作した絵画である。油彩。主題はスペインの伝説的な女性フロリンダ・ラ・カヴァ英語版から採っている。1852年にヴィクトリア女王から夫であるアルバート公に贈られた。現在はイギリスロイヤル・コレクションの一部として、かつての夏の離宮であるワイト島オズボーン・ハウスに所蔵されている[1][2]。またニューヨークメトロポリタン美術館には1853年のパリサロンに出品されたほぼ同じサイズの複製が所蔵されている(ただし展示はされていない)[2]

フロリンダ・ラ・カヴァは8世紀頃のスペインの女性である。当時スペインを支配していた西ゴート王国最後の王ロデリックに仕えたセウタユリアヌス英語版の娘として生まれた。成長するとロデリック王の宮廷で侍女として仕えたが、他の侍女たちとともにトレドの庭園で水浴びをしているところを王に目撃され、最も美しい娘の1人として選別されたのち愛人として誘惑された。あるいはフロリンダの側から誘惑した。いずれにせよロデリック王がフロリンダに求愛したのち、フロリンダの父は復讐として北アフリカを支配していたムーア人をスペインに招き入れ、王国を征服させたと伝えられている(フロリンダの出身地セウタはジブラルタル海峡の北アフリカ側にある都市である)。この戦争でロデリック王は殺され、その後200年にわたってスペインはムーア人の支配下に置かれた[2]

作品

メトロポリタン美術館所蔵の1853年のバージョン[2]
初期の傑作『デカメロン』。1837年。リヒテンシュタイン美術館所蔵。
1855年の『侍女に囲まれたウジェニー皇后』。コンピエーニュ城フランス語版所蔵。

ヴィンターハルターはフロリンダが同僚の侍女たちとともに水浴びの準備をする様子を描いている。場所はトレド近郊の城内の庭園にある泉である。フロリンダと他の侍女たちはいずれも身にまとった豪華な衣装を脱ごうとしている。画面は暖かな光で満たされ、女性たちの肌を輝かせている。しかし彼女たちはみな近くの茂みに身を潜めたロデリック王が自分たちを監視していることに気づいていない[1]。歴史風俗画である本作品は1840年代から1850年代にかけてヴィンターハルターが描いた典型的な宮廷肖像画から逸脱している[1]。ヴィンターハルターはフロリンダと他の侍女たちを屋外の森の中に円形状に配置した。この構図と森の背景は、1837年のサロンに出品した画家の初期作品『デカメロン』(Le Décaméron)を参考にしたものである。画家が『デカメロン』の構図がもたらした成果に満足したことは明らかであろう。ヴィンターハルターは本作品に続いてコンピエーニュ城フランス語版に所蔵されている1855年の『侍女に囲まれたウジェニー皇后』(L'Impératrice Eugénie entourée de ses dames d'honneur)でも、再び同様の構図と背景を用いて描いた[1][2]

文学的源泉

ヴィンターハルターの1869年の手紙によると、『フロリンダ』は16世紀のスペインのバラード『ラ・カヴァ』(La Cava)から着想を得ており、テキストに忠実に従って描いたと記している[1][2]。着想源については他にもいくつかの指摘がされている。たとえばヴィンターハルターは19世紀初頭のイギリス人作家によるロマン主義的な作品に触れていた可能性がある。初代準男爵ウォルター・スコット卿の1811年の叙事詩『ドン・ロデリックの幻視』(The Vision of Don Roderick)や、ロバート・サウジーの1814年の叙事の『最後のゴート王ロデリック』(Roderick, The Last of the Goths)がそれである。より直接的な着想はおそらくジギスモント・タールベルクによる1851年7月初演のオペラ『フロリンダ、あるいはスペインのムーア人』(Florinda, ou Les Maures en Espagne)の上演であった。ヴィクトリア女王は上演が始まると7月のうちに観劇している。このオペラには20年間女王の歌唱指導をした著名なオペラ歌手ルイジ・ラブラーシュ英語版が出演していた。このオペラがハー・マジェスティーズ劇場で公演された当時、ヴィンターハルターはイギリスに滞在していたことが知られている[1]

来歴

『フロリンダ』は1852年のロイヤル・アカデミー夏季展英語版に出品され、同年4月にヴィクトリア女王によってアルバート公への贈物として購入された。画家への支払いは7月1日と11月5日の2回に分けて行われ、それぞれ500ポンドずつ、計1,000ポンド支払われた。その後、アルバート公の誕生日である8月26日に贈られた[1]。絵画はオズボーン・ハウスの女王の間に掛けられた。当初は額縁はなかった(ヴィクトリア女王の1854年7月18日の日記)[1]。翌1853年、ヴィンターハルターはほぼ同じサイズの複製を制作してパリのサロンに出品した[2]

当時の反応

『フロリンダ』は好評を博した。絵画を購入したヴィクトリア女王は1852年4月3日の日記で次のように記した。

ヴィンターハルターの最も美しい絵画で、彼のお気に入りの作品です。アルバート公の誕生日を祝うために購入しましたが、展覧会に出品しなければならないので秘密にすることはできません。等身大の半分の大きさの、美しい女性たちの集まりを描いた実に美しい絵画です[1]

ロイヤル・アカデミー夏季展でも特にその色彩と女性像の美しさが称賛された。文芸雑誌アテネウム英語版』の評論家は次のように述べた。

大変に優れた美点を持つ絵画である。モデルは優雅であり、洗練されかつ明確な輪郭で描かれている。(中略)彩色は鮮やかで、豊かな衣装にはありとあらゆる色合いが盛り込まれている。暖かい光が至る所できらめき、肉体は輝いている[1]

ヴィンターハルターの代表作『ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人レオニーラ・イヴァノヴナ・バリャティンスカヤの肖像』。1843年。J・ポール・ゲティ美術館所蔵。

しかし『フロリンダ』と後の1855年の集団肖像画『侍女に囲まれたウジェニー皇后』との間にある多くの類似点、屋外の森を背景とする場面や、女性を中心とする主要人物とその配置といった類似性は、ウジェニー・ド・モンティジョ皇后とその侍女たちが『フロリンダ』の裸体像のモデルになったのではないかというスキャンダラスな憶測を招くこととなった。たとえばアメリカ合衆国の芸術家ジョージ・ヘンリー・ストーリー(George Henry Story)は1904年の著書『メトロポリタン美術館所蔵の絵画目録』(Catalogue of the Paintings in the Metropolitan Museum of Art)の中で、『フロリンダ』の女性像のモデルはウジェニー皇后と侍女たちであると述べている[2]。実際にはこの憶測は明確な誤りであり、フランス皇帝ナポレオン3世とウジェニー皇后との結婚は1853年であり、肖像画制作の発注も1855年にされたものである[1]

しかしヨーロッパの高貴な出身の女性が『フロリンダ』の女性のモデルになったことは確かなようである。1860年10月12日、ヴィクトリア女王はザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人レオニーラ・イヴァノヴナ・バリャティンスカヤについて日記で次のように記した。

彼女は今もなお大変堂々としており、かつては絶世の美人でした。ヴィンターハルターによって描かれた彼女の頭部は『フロリンダ』にも登場しています[1]

他のバージョン

メトロポリタン美術館版

いくつかの複製が知られている。最も有名なものは1853年にヴィンターハルター自身が制作した複製である。これはパリのサロンに出品された[1][2]。翌1854年に美術商グーピル商会によって2万5000フランで購入されると、1859年に売却されるまでの間、複製版画を販売するためグーピル商会のニューヨークの画廊に展示された。1859年3月17日、グーピル商会はコレクションのオークションを開催し、『フロリンダ』を最大の目玉商品として出品した。絵画はニューヨークの造船技師慈善家ウィリアム・H・ウェッブ英語版に3,100ドルで売却された。ウェッブは死去する1899年まで絵画を所有し続け、死後にメトロポリタン美術館に遺贈した[2]

水彩画版

水彩画のバージョンも知られている。ヴィクトリア女王は1857年にはアルバート公に水彩画の複製を贈っている。これはヴィンターハルターがリトグラフ作家レオン・ノーベル(Léon Nobel)のために制作したものと考えられる[2]。「FW」というモノグラムが入った水彩画の複製も知られているが、このモノグラムは明らかにヴィンターハルターの筆跡とは異なっているだけでなく、同様のモノグラムが使用されたヴィンターハルターの作品も知られていないため、19世紀の無名の画家による模写と考えられている[3]

ギャラリー

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI