ブガン (ウラナラ氏)
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ブガンの子孫
『清史稿』ではブガンの子を二人として、布丹を記載していないが、ここでは『八旗滿洲氏族通譜』(「滿泰兄布丹」) に従って布丹をブガンの子として扱った。
- 子ブダン(budan, 布丹):マンタイの兄。[5]
- 孫アジャイ(ajai[6], 阿斉):ドゥダリ(図達理)の実兄。[7]
- 曾孫ニカン(nikan、尼堪):アジャイの子。理藩院侍郎の任期中において職能と指示遵守の姿勢が評価され、三等軽車都尉を授与された。燕京定鼎 (奠都) 時に二等軽車都尉に昇叙され、後、南明の流賊を撃破、福王・朱常洵を討滅、河南、江南などを平定、と立続けに戦功を揚げて一等軽車都尉に昇叙、モンゴルのテンギス滕吉思)を追逐し、トール河[8](現モンゴル国中央部) 地方で敵兵を二度撃砕して家財や家畜を接収、又、トゥシエト・ハーン (土謝図汗) の兵を撃砕し、優れた勲功を揚げたとして三等男に昇叙、順治年間の三度の恩賞により三等子に昇叙、尋いで長年の功労を称え二等子に昇叙された。継嗣なく、死後は実叔の子孫4人が分襲[9]した。
- 孫:ニカンの実叔 (名未詳)。[7]
- 曾孫・アムルトゥ(amurtu, 阿穆爾図):ニカンの親叔の子。ニカンから三等軽車都尉を分襲[9]した。広東征討に従軍し、新会県 (現広東省江門市) 地方で南明軍・李定国[10]の騎歩兵数万余を撃砕した。後、雲南、貴州征討に向い、涼水井 (現貴州省銅仁市) などでも立続けに敵兵を撃砕した。勲功により二等軽車都尉に昇叙され、奉天将軍を歴任した。[7][11]
- 玄孫アリンタイ(alintai, 阿林泰):アムルトゥ(阿穆爾図)の子。二等軽車都尉を承襲し、佐領を務めた。[11]
- 来孫ウレリ(uleri, 呉勒理):アリンタイの子。二等軽車都尉を承襲し、佐領を務めた。[11]
- 来孫アルギンガ(algingga, 阿爾経阿):ウレリの実弟。恩賞による加増分とアムルトゥ(阿穆爾図)の軍功による加増分が消滅し、騎都尉兼一雲騎尉を承襲した。[11]
- 来孫チャンゲン(canggeng, 長庚):ツムボージュ(ts'umbooju, 存保住)の実伯 (名未詳) の孫。存保住から雲騎尉を承襲。[11]
- 来孫シルゲ(sirge, 西爾格):ツムボージュの実伯 (名未詳) の孫。長庚から雲騎尉を承襲。[11]
- 来孫ヤルブ(yarbu, 雅爾布):ツムボージュの実伯 (名未詳) の孫。シルゲから雲騎尉を承襲。[11]
- 昆孫キチェブ(kicebu, 奇徹布):ヤルブの子。雲騎尉を承襲。
- 玄孫アリンタイ(alintai, 阿林泰):アムルトゥ(阿穆爾図)の子。二等軽車都尉を承襲し、佐領を務めた。[11]
- 曾孫アシトゥ(asitu, 阿什図):ニカンの親叔の子。雲騎尉を分襲[9]し、鴻臚寺卿兼佐領を歴任した。[7][11]
- 玄孫ツムボージュ(ts'umbooju, 存保住):アシトゥ(阿什図)の子。雲騎尉を承襲。継嗣なく、死後は実伯 (名未詳) の孫が承襲。[11]
- 曾孫・アムルトゥ(amurtu, 阿穆爾図):ニカンの親叔の子。ニカンから三等軽車都尉を分襲[9]した。広東征討に従軍し、新会県 (現広東省江門市) 地方で南明軍・李定国[10]の騎歩兵数万余を撃砕した。後、雲南、貴州征討に向い、涼水井 (現貴州省銅仁市) などでも立続けに敵兵を撃砕した。勲功により二等軽車都尉に昇叙され、奉天将軍を歴任した。[7][11]
- 孫トゥダリ(tudari, 図達理):鑲白旗、元・正黄旗 (転属)。ブダンの三子。ウラ地方に代々定住し、建国初期に帰順して副都統を務めた。[5]
- 孫アジャイ(ajai[6], 阿斉):ドゥダリ(図達理)の実兄。[7]