ブライアン・トロティエ
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| ブライアン・トロティエ | |
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| 本名 | ブライアン・ジョン・トロティエ |
| 原語名 | Bryan John Trottier |
| 愛称 | Trots |
| 国籍 |
(二重国籍) |
| 生誕 |
1957年7月17日(68歳) サスカチュワン州バル・マリー |
| 身長 | 5 ft 11 in (1.80 m) |
| 体重 | 195 lb (88 kg; 13 st 13 lb) |
| ポジション | センター |
| シュート | 左打ち |
| 所属歴 |
ニューヨーク・アイランダース (1975 - 1990) ピッツバーグ・ペンギンズ (1990 - 1992、1993-94) |
| 代表 |
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| NHLドラフト |
22位(1974年) ニューヨーク・アイランダース |
| プロ選手期間 | 1975年 – 1994年 |
| 1997年殿堂入り | |
ブライアン・トロティエ(英語: Bryan Trottier、1956年7月17日 - )は、カナダ連邦サスカチュワン州バル・マリー生まれの元プロアイスホッケー選手である。
ナショナルホッケーリーグ(NHL)ではニューヨーク・アイランダーズで15シーズン、ピッツバーグ・ペンギンズには3シーズン在籍し、攻守にバランスの取れたセンターであったと評価される。特に1980年代初頭にアイランダーズがスタンレー・カップで4連覇(1980年から1983年まで)を記録したいわゆる「アイランダー王朝時代」の中核メンバーとして名高い。1997年にホッケーの殿堂入りを果している。
1974年のNHLドラフト2巡目(全体22位)でニューヨーク・アイランダーズに指名された。当時の北米ホッケー界はNHLが1972年に発足したライバルリーグであるWHLに対し様々な対抗策を講じていた時期であるといわれ、NHLによる17、18歳の有望若年選手の囲い込み、青田買いも行われていた。トロティエの獲得もその一例である。このため、トロティエはすぐにNHLでプレーすることなく、1974-1975シーズンはジュニアリーグ (WCIHL) で144ポイントを上げ、リーグ最優秀選手となった。
翌1975-1976シーズンからは、アイランダーズに昇格し、メジャー第2戦でハットトリックを記録した。そして、最終的にマーセル・ディオンが保持していたアシスト数、ポイント数の新人記録を更新。オフにはカルダー記念賞(新人王)を受賞した。
1977-1978シーズン頃からアイランダーズは、トロティエ、マイク・ボッシー、クラーク・ギリースの強力布陣を備えめきめきと力をつけていった。トロティエが最高成績を残したのは 1978-1979シーズンで、リーグ首位の134ポイントを上げた。また、同年のアシスト数87は、前年の77に続く2年連続のリーグ首位記録である。
1979-1980シーズンには、アイランダーズはスタンレー・カップに優勝し、トロティエもコーン・スマイス賞(プレイオフ最優秀選手賞)を獲得する。こうして、1970年代後半から1980年代前半にかけて、圧倒的な力量を見せたウェイン・グレツキーを除けば、トロティエは、その得点能力と固い守備力によって当時最も優れたオールラウンドプレーヤーの一人に数え上げられる選手となった。
しかし、一方で同世代のセンター達、例えばマーク・メシエやスティーブ・アイザーマンと比較すると、第一線で長く活躍できた期間はやや物足りないとする評価もある。特に現役生活14年目以降は、その力が急激に衰えたように見え、1988年に82ポイントを上げていたのが、翌年は45ポイント、翌々年は24ポイントと落ちていった。
1990年7月20日にはフリー・エージェントで15年在籍したアイランダーズを後にして、ペンギンズに移籍した。同僚にはマリオ・ルミュー、ヤロミール・ヤーガーらがおり、移籍後の3年間のうち、1991年、1992年とスタンレー・カップ連覇を経験し、1993年は一旦アイランダーズのフロント入りするが飽き足らず、1994年にペンギンズの選手兼アシスタントコーチとして37歳で復帰しその年限りで現役を引退した。引退時点でのポイント数は NHL 歴代6位であった。
なお1984年のカナダカップにおいては、トロティエはカナダ人同胞から多くの批判を浴びながら、アメリカ合衆国チームの一員として参戦した。この決断を行ったのは、自らの居住国に報恩するためと、妻がアメリカ人であったためとされている。そして、1984年7月には、父方の祖先にクリー(Cree)族系のメティがいたため、アメリカ合衆国籍を取得している。
引退後は、アメリカン・ホッケー・リーグ(AHL)のポートランド・パイレーツのコーチ、NHLではコロラド・アバランチのアシスタントコーチ、ニューヨーク・レンジャースのヘッドコーチを務めた。