ブラジルへの移民
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歴史
ヨーロッパ人が来る前、ブラジルにはそれほど多くの人口はなかった。
植民地時代(1500年–1822年)
ブラジルへの移民は植民地時代に始まる。1500年にポルトガルがブラジルを発見・植民地化した後、ポルトガル人の入植者が定住し、砂糖プランテーションの開発が進められた。この時期、多くのアフリカ人が奴隷として強制移住させられ、労働力として重要な役割を果たした。
19世紀(1822年–1900年)
ブラジル独立(1822年)後、経済成長と労働力不足に対応するため、政府はヨーロッパからの自由移民を奨励した。イタリア人、ドイツ人、ポルトガル人、スペイン人などが農業や都市部の産業で働き、地域社会や文化に影響を与えた。1888年の奴隷制廃止後、移民の役割はさらに重要となり、コーヒープランテーションや工業都市での労働力として活用された。
20世紀(1900年–2000年)
20世紀にはアジアや中東からの移民が増加した。特に日本、レバノン、シリアなどからの移民が農業、商業、都市生活に参加し、ブラジル社会に多文化的影響を与えた。
現代(2000年以降)
現代のブラジルは、多様な民族構成を持つ国家であり、移民とその子孫は文化、経済、学術、スポーツなどの分野で重要な役割を果たしている。政府は移民の統合政策や多文化共生を推進している。
ポルトガル移民
日本移民
20世紀には多くの日本人がブラジルへ渡った[2]。

1905年(明治38)、ブラジルに赴任した杉村濬(すぎむらふかし)公使は、着任に際し謁見した大統領や面談した大蔵大臣から相次いで移民の話を持ち出され、さらに出張したサンパウロ州でも日本移民への期待を感じた。杉村は同年6月大至急でサンパウロ州の移民先としていかに有望かを詳しく説いたサンパウロ州視察の復命書を作成し、本省に送付した。杉村はこの復命書が国民に広くに読まれ、関心が南米に向くことを期待していた。全部完成してから一括して送ると、船便の都合で遅くなるので、完成した部分から船便ごとに送ることにしたという話から、杉村のはやる気持ちがうかがわれる[3]。
1908年、日本人移民第一船「笠戸丸」がサントス港に到着。1922年、ブラジル独立百年記念万国博覧会の日本人参加[4]。日本・ブラジル両国の友好が深まる中で、1920年代に生じた一連の経済危機-米騒動(1918年)、関東大震災(1923年)、金融恐慌(1927年)、大恐慌(1929年)-は、日本国内の農村に大きな打撃を与えた。政府は、1925年から、移民の渡航費用を大きく支援し、大規模な移民を奨励した。1908年から1941年までの間に、 18万8千人がブラジルへと移民しているが、1925年から1935年までの10年間の間だけでも、13万5千人がブラジルへと送出されている。この時期は、ブラジル日系人たちから「国策移民の時代」と呼ばれている[5]。
現在ブラジルには約150万人の日系人がいるといわれている[3]。