ブリュッセル連続テロ事件
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概要
犯人

計5人の襲撃犯が空港と地下鉄に爆弾を持ち込み、そのうち3人が自爆テロで死亡、残りの2人は爆弾を爆発させずに立ち去ったが、犯行から16日後に逮捕された。事件後、過激派組織ISILは「ISILに対する攻撃への代償として、十字軍同盟は暗黒の日々を迎えることを思い知らせる」と犯行声明を明らかにした[8]。一方、犯行声明では「戦闘員たちが爆弾ベルトで一連の爆破を実行した」とし、「ベルギーが(IS掃討の)有志連合に参加している」とも述べている[9]。
これについては2015年11月、パリ同時多発テロ事件において指名手配されていたベルギー出身の実行犯の1人が3月18日に強制捜査(en:2016 Brussels police raids)で逮捕されており[10]、今回の爆発は「イスラム過激派による報復テロではないか」と見られている[3]。
犠牲者
ベルギー政府の対応
各国及び国際機関などの声明
- 各国首脳
フランス:フランスのフランソワ・オランド大統領は「欧州が標的であり、各国が連携して対応すべきだ」と述べた[13]。
ドイツ:ドイツのアンゲラ・メルケル首相は「限りない決意でテロに打ち勝つ」と述べた[14]。
イギリス : イギリスのデビット・キャメロン首相は「ブリュッセルでの出来事にショックを受けており、懸念している。支援のためにできる限りのことを行う」と述べた[15]。
アメリカ合衆国:アメリカのバラク・オバマ大統領はキューバを訪問中であり、「テロの脅威に対向するため、世界の団結が必要」と述べた[16]。さらに2016年3月25日まで星条旗を半旗に下げるよう求める大統領令を出した。
ロシア:ロシアのウラジミール・プーチン大統領は「残忍な犯罪を断固非難する。(国境のないテロとの戦いには)国際社会の最も活発な協力が必要だ」と述べた[17][18]。
日本:日本の安倍晋三首相は「今回のテロに強い憤りと衝撃を受けており、いかなる理由があろうとテロは許されない」と事件を非難し、「日本と価値を共有するベルギー、EU(欧州連合)の皆さんが困難に直面している今、強い連帯を表明いたします」とコメントを発した[19]。
- 国際組織
影響、その他
- ブリュッセル空港は22日から閉鎖されたため[26]、全日本空輸は、22日の成田→ブリュッセル便はデュッセルドルフ空港にダイバートさせ、3月31日まで同区間の欠航が決まった[27]。
- ブリュッセル地下鉄、路面電車、バス等は運行を休止、高速鉄道タリス、ユーロスター、ICE、およびベネルクストレインは、ブリュッセルへの乗り入れを中止している[28]。
- パリ同時多発テロ事件の時と同様に、パリのエッフェル塔、ベルリンのブランデンブルク門、ドバイのブルジュ・ハリファやメキシコシティの連邦議会上院などがベルギー国旗の色にライトアップされた[29]。
- アムステルダムの王宮
ブリュッセルでのテロはヨーロッパにおける国境を越えた人の移動、寛容政策、言論の自由に対する大きな打撃となった[30]。
パリ同時多発テロ事件で公衆が理解するようになったことだが、人の自由な行き来を可能にすることでテロリストも自由に移動できるようになった。 もちろん、警備のない街道でランダムにおこるテロを防ぐのは難しく、けれども今回のテロは空港や地下鉄といった(政府によって)コントロールされる空間で起こった。それらの区域は本来は旅行者にとって安全であるべき区域でもある[30]。 パリの事件でもそうだったように、ブリュッセルのテロでも欧州に流入してきた移民に紛れてテロリストが入り込んでおり、それらがテロに関与した可能性が指摘された。移民や多文化共生といったものに寛容な姿勢はリスクを深刻化させる結果となった。[要出典]
EUとトルコの間で交わされた協定では不法移民を「安全な第三国」トルコへ強制送還することになっている。 (その見返りにトルコ国民はシェンゲン域内をビザなしで移動できるようになる。)これに対しUNHCRやアムネスティ・インターナショナルなどがこの協定は国際法とEU法に違反するとして非難した[31][32]。
フランスやスペインもこの協定に懐疑的だったが、今回のテロ攻撃によって移民をトルコに強制送還するという協定がより多くの公衆から支持されるようになった[30]。
イギリスは2016年6月にEUからの離脱の是非を問う国民投票を行うことが決まっていた。今回のテロはイギリス有権者の心理に疑いという種を播くことになる。イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相らEU残留派は、EUはイギリスをより安全にすると主張している。 だが、攻撃が起こる度にEUはイギリスをより安全にするという説は非現実的となり、今回のテロ攻撃はイギリス有権者にイギリスの国境の後ろに退却するよう促すこととなった[30]。