ブルー・パンテル

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リングネーム ブルー・パンテル
カショーロ
本名 ヘナロ・バスケス・ネバレス
ニックネーム 青豹仮面
身長 171cm
ブルー・パンテル
ブルー・パンテルの画像
プロフィール
リングネーム ブルー・パンテル
カショーロ
本名 ヘナロ・バスケス・ネバレス
ニックネーム 青豹仮面
身長 171cm
体重 88kg
誕生日 (1960-09-19) 1960年9月19日(64歳)
出身地 メキシコの旗メキシコ
ドゥランゴ州ゴメスパラシオ
所属 CMLL
トレーナー ハルコン・スリアーノ
エクトール・ロペス
デビュー 1978年3月
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ブルー・パンテルBlue Panther)のリングネームで知られるヘナロ・バスケス・ネバレス(Genaro Vásquez Nevares1960年9月19日 - )は、メキシコ覆面レスラードゥランゴ州ゴメスパラシオ出身[1]

ブルー・パンテル・ジュニア(ブラック・パンテル)、テ・パンテルは実子。

地元でアルコン・スリアーノエクトール・ロペスの指導を受け1978年3月、リンピオ(ベビーフェイス)でデビュー。1981年ルードに転進。1984年12月16日マテマティコを破りUWA世界ウェルター級、1986年11月、グラン浜田を破り同ライトヘビー級王座奪取。1991年7月、EMLLに移籍。同年12月18日アカプルコでの決定戦でサタニコを破りCMLL世界ミドル級の初代王座になる。1992年4月3日アレナ・メヒコラブ・マシーンとのコントラ・マッチで勝利し相手のマスクを剥ぐ。またSWSにも来日した。

同年5月AAAに電撃移籍。1992年7月24日グアナフアト州レオンでオクタゴンを破ってナショナルミドル級王座奪取。1993年7月、AAAに移籍してきたラブ・マシーンと再戦し相手を坊主しリンピオに転進、しかし同年11月再度ルード転進。1994年11月には新日本プロレスの『AAAルチャ・ワールド』に来日した。

1997年マスカラ・サグラダ・ジュニア等と共にCMLLに移籍。ドクトル・ワグナー・ジュニアブラック・ウォリアーロス・ラグネロス(Los Laguneros)を結成。1999年、ワグナーをパートナーにネグロ・カサスエル・イホ・デル・サント組の持つCMLL世界タッグに挑戦も失敗。ロス・ラグネロスでメキシコ・ナショナル・6人タッグ王座奪取。2001年1月、全日本プロレス東京ドーム大会に来日。2002年、ブラック・ウォリアーがロス・ラグネロス脱退しその後フェルサ・ゲレーラをメンバー入りさせトーナメントで優勝し再度同タイトル奪取。2004年アトランティスと組みウルティモ・ゲレーロレイ・ブカネロ組の持つCMLL世界タッグに挑戦し奪取、同年オリンピコ、レイ・ブカネロ組相手に同タイトル防衛。2005年4月、同タイトルをアベルノメフィスト組の挑戦に破れ防衛に失敗した。

得意技

変形足4の字固め。仰向けに倒れた相手の両脚を足4の字固めと同型にロックした後、両腕が交差するように掴んで上体を持ち上げ、宙吊りにすることで両手足を極める。ルチャリブレの伝統的なジャベの一種、
和名では結び目固めと呼ばれる技の発展型である。
英語圏ではスタンディング・フィギュアフォー・レッグロックとも呼ばれる。
跳躍中に捻りを加えたダイビング・ボディ・プレス。初代タイガーマスクと並ぶ、この技の代表的な使い手の一人である。全盛期にはフィニッシュ・ホールドとして好んで用いていたが、1990年代中盤頃から徐々に使用頻度が少なくなり、年齢的な衰えからか現在はほぼ封印状態にある。
ムーンサルト・プレスの原型として有名だが、ラウンディング・ボディ・プレスの方が高難度であるとされる。
1990年代初頭から好んで使用し始めた。叩きつける際マットに膝を付く独特のスタイルである。ウラカン・ラナ・インベルティダへの切り返し技として用いることが多い。
試合中盤の繋ぎ技として若手時代から愛用している。カウンターに用いることが多く、自分から仕掛けることはほとんど無い。

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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