ブラック・ウォリアー
From Wikipedia, the free encyclopedia
デストロイヤー
カモーラ
ラ・マスカラ
ブロンセ
スペル・スター
ドラゴン・デ・オロ
バリ
ベガス
ブラック・パンテル
| ブラック・ウォリアー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム |
ブラック・ウォリアー デストロイヤー カモーラ ラ・マスカラ ブロンセ スペル・スター ドラゴン・デ・オロ バリ ベガス ブラック・パンテル |
| 本名 | ヘスス・トラル・ロペス |
| ニックネーム | 黒い暴走戦士 |
| 身長 | 175cm |
| 体重 | 85kg |
| 誕生日 |
1969年1月7日 |
| 死亡日 |
2023年1月10日(54歳没) |
| トレーナー |
アステリオン ハルコン・スリアーノ ブルー・パンテル |
| デビュー | 1984年1月22日 |
| 引退 | 2023年(現役のまま死去) |
ブラック・ウォリアー(Black Warrior)のリングネームで知られるヘスス・ロペス(Jesus Toral López、1969年1月7日 - 2023年1月10日)は、メキシコのプロレスラー。コアウイラ州トレオン出身[1]。
ブルー・パンテルの叔父にあたる。妻はマノ・ネグラの娘、マノ・ネグラ・ジュニアは義兄弟。
1984年1月22日、ドゥランゴ州ゴメスパラシオを拠点とするインディー団体でデストロイヤーのリングネームでプロレスラーデビューを果たす。
1991年、EMLLにブロンセのリングネームで復帰。同年、オロ & プラタで連邦区トリオ王座を奪取。
1992年10月、AAAやインディー団体でドラゴン・デ・オロ、バリ、ベガスなどのリングネームを名乗る。
1995年10月、CMLLに復帰。師匠のブルー・パンテルを模したブラック・パンテルを名乗る。ドクトル・ワグナー・ジュニア & ブルー・パンテルとロス・ラグネロス(Los Laguneros)なるユニットを結成。
1996年5月、ブラック・ウォリアー(Black Warrior)となりルードに転向。10月15日にエル・ダンディを破りNWA世界ライトヘビー級王座を奪取。
1998年3月10日、ショッカーを破り同ベルトを再び奪取。12月、CMLL世界トリオ王座争奪トーナメントでロス・ラグネロスで出場。決勝でズンビート & ベスティア・サルバヘ & スコルピオ・ジュニアを破りCMLL世界トリオ王座を奪取。後にロス・ラグネロスを脱退。
2002年6月16日、ミステル・ニエブラ & アトランティスと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア & ブルー・パンテル & フエルサ・ゲレーラを破る。
2004年7月9日、ドクトル・ワグナー・ジュニア & ウニベルソ・ドスミル & ブラック・タイガーを破り、同トリオベルトを奪取。
2006年5月12日、ミスティコを破りNWA世界ミドル級王座を奪取。9月29日、マスカラ・コントラ・マスカラでミスティコに破れ素顔になる。
2008年12月、サングレ・アステカとドラゴン・ロホ・ジュニアでポデール・メヒカなるユニットを結成。
2009年2月3日、ポデール・メヒコでサグラド & ラ・ソンブラ & ボラドール・ジュニアを破りメキシコナショナルトリオ王座を奪取。10月16日、高橋裕二郎とカベジェラ・コントラ・カベジェラで敗退。
2014年2月21日、AAAに電撃復帰を果たしてロス・ペロス・デル・マールにメンバー入り。
2015年11月15日、LLE(Lucha Libre Elite)にてシベルネティコと共にサプライズ登場を果たし、カリスティコを襲撃[2]。CMLLに移籍する事を宣言した。
2023年1月10日に死去。54歳没[3]。前年2022年3月17日に、息子で2016年にデビューしたばかりのブラック・ウォリアー・ジュニアがわずか24歳で死去したばかりであった[4][5]。