ブラック・ウォリアー

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リングネーム ブラック・ウォリアー
デストロイヤー
カモーラ
ラ・マスカラ
ブロンセ
スペル・スター
ドラゴン・デ・オロ
バリ
ベガス
ブラック・パンテル
本名 ヘスス・トラル・ロペス
ニックネーム 黒い暴走戦士
身長 175cm
ブラック・ウォリアー
プロフィール
リングネーム ブラック・ウォリアー
デストロイヤー
カモーラ
ラ・マスカラ
ブロンセ
スペル・スター
ドラゴン・デ・オロ
バリ
ベガス
ブラック・パンテル
本名 ヘスス・トラル・ロペス
ニックネーム 黒い暴走戦士
身長 175cm
体重 85kg
誕生日 (1969-01-07) 1969年1月7日
メキシコの旗 メキシココアウイラ州トレオン
死亡日 (2023-01-10) 2023年1月10日(54歳没)
メキシコの旗 メキシコメヒコ州
トレーナー アステリオン
ハルコン・スリアーノ
ブルー・パンテル
デビュー 1984年1月22日
引退 2023年(現役のまま死去)
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ブラック・ウォリアー(Black Warrior)のリングネームで知られるヘスス・ロペス(Jesus Toral López、1969年1月7日 - 2023年1月10日)は、メキシコプロレスラーコアウイラ州トレオン出身[1]

ブルー・パンテルの叔父にあたる。妻はマノ・ネグラの娘、マノ・ネグラ・ジュニアは義兄弟。

1984年1月22日、ドゥランゴ州ゴメスパラシオを拠点とするインディー団体でデストロイヤーのリングネームでプロレスラーデビューを果たす。

1985年カモーラのリングネームでEMLLに入団。

1988年ラ・マスカラのリングネームでUWAに入団。

1991年、EMLLにブロンセのリングネームで復帰。同年、オロ & プラタで連邦区トリオ王座を奪取。

1992年10月、AAAやインディー団体でドラゴン・デ・オロ、バリ、ベガスなどのリングネームを名乗る。

1995年10月、CMLLに復帰。師匠のブルー・パンテルを模したブラック・パンテルを名乗る。ドクトル・ワグナー・ジュニア & ブルー・パンテルとロス・ラグネロス(Los Laguneros)なるユニットを結成。

1996年5月、ブラック・ウォリアーBlack Warrior)となりルードに転向。10月15日にエル・ダンディを破りNWA世界ライトヘビー級王座を奪取。

1998年3月10日、ショッカーを破り同ベルトを再び奪取。12月、CMLL世界トリオ王座争奪トーナメントでロス・ラグネロスで出場。決勝でズンビート & ベスティア・サルバヘ & スコルピオ・ジュニアを破りCMLL世界トリオ王座を奪取。後にロス・ラグネロスを脱退。

1999年7月、初来日を果たしみちのくプロレスに参戦。

2002年6月16日、ミステル・ニエブラ & アトランティスと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア & ブルー・パンテル & フエルサ・ゲレーラを破る。

2004年7月9日、ドクトル・ワグナー・ジュニア & ウニベルソ・ドスミル & ブラック・タイガーを破り、同トリオベルトを奪取。

2006年5月12日、ミスティコを破りNWA世界ミドル級王座を奪取。9月29日、マスカラ・コントラ・マスカラでミスティコに破れ素顔になる。

2008年12月、サングレ・アステカドラゴン・ロホ・ジュニアポデール・メヒカなるユニットを結成。

2009年2月3日、ポデール・メヒコでサグラド & ラ・ソンブラ & ボラドール・ジュニアを破りメキシコナショナルトリオ王座を奪取。10月16日、高橋裕二郎とカベジェラ・コントラ・カベジェラで敗退。

2014年2月21日、AAAに電撃復帰を果たしてロス・ペロス・デル・マールにメンバー入り。

2015年11月15日、LLE(Lucha Libre Elite)にてシベルネティコと共にサプライズ登場を果たし、カリスティコを襲撃[2]CMLLに移籍する事を宣言した。

2023年1月10日に死去。54歳没[3]。前年2022年3月17日に、息子で2016年にデビューしたばかりのブラック・ウォリアー・ジュニアがわずか24歳で死去したばかりであった[4][5]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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