ブレア主義
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ブレア主義(ブレアしゅぎ、Blairism)はイギリスの政治史において、1997年から2007年まで首相を務めた労働党党首トニー・ブレアとその支持者(ブレア派)に由来する政治思想および政策指針である。社会民主主義的な公共サービスへの投資、社会流動性を高めるための教育拡充と共に、ニュー・レイバー(新しい労働党)として、従来は右派の方針とされた市場経済の規制緩和や犯罪対策を目的とした大規模監視の強化や法執行権限の強化などを政策方針として掲げる。このため、伝統的な大きな政府政策とは一線を画するとし、保守党的な自由主義政策(小さな政府)とも異なる「第三の道」を称する。外交政策においても、アメリカとの親交やリベラルな介入主義を支持し、アフガニスタン紛争やイラク戦争の支持に表れている。

ブレア主義は中道や中道右派からの支持も受けて労働党による長期政権の推進基盤となった一方で、従来の支持基盤であった労働組合の離反を招いた。さらにイラク戦争支持に代表される親米路線も、従来のリベラル層から強い反発を受けた。その結果、2005年の総選挙では大幅に議席を失い、党内有力者でブレア主義の修正を掲げるゴードン・ブラウン率いるブラウン派の巻き返しを受けて最終的に2007年にブラウンに交代する形で、10年に及ぶブレア政権は幕を閉じた。
イデオロギー

一般にトニー・ブレアの政策思想は、公共サービスへの記録的な投資、介入主義的かつ大西洋主義的な外交政策、法執行権限の強化への支持、テロ対策としての監視体制の重視、社会流動性を促す手段としての教育への注力と定義される。政権獲得前の1994年から1997年頃にかけては、欧州統合(EU)を支持し、特に欧州単一通貨(ユーロ)への参加支持を表明してもいたが、政権成立後はこの傾向は弱まった。
一般に、この用語は労働党内でブレアではなくゴードン・ブラウンを支持するブラウン主義の対比として用いられる。しかし、ブレアとブラウンはイラク問題から公共部門改革に至るまでほとんどの政治課題で概ね見解が一致しており[1]、一部の評論家は「ブラウン派とブレア派の違いは思想的というより派閥的(tribal)なものだ」と指摘している[2]。 これは、1994年のジョン・スミスの死去に伴う党首選において、どちらが立候補すべきかを巡るブレアとブラウンの個人的な不和に端を発すると考えられている。当初はブラウンの方が有力と見られていたが、彼がスミスの葬儀が終わるまで選挙運動を控えたのに対し、ブレアがその間に巻き返しが不可能なほどに支持を集めたという経緯があった[3]。 一方でスティーブ・リチャーズは、相対的貧困や公共支出の水準、公共サービスにおける選択の可能性を巡って、両者の間には重大な意見の相違があったと指摘している[4]。
1999年に英エコノミスト紙は次のように書いている。
ブレア首相は間違いなく職務を果たし、労働党の輝かしい過去を惜しみなく称えるだろう。しかし実のところ、ブレア首相は常に労働党の歴史に対して明確なアンビバレンス(相反する感情)を示してきた。野党時代の彼の最大の功績は、党に国有化という歴史的な公約を捨てさせ、労働組合との伝統的な絆を薄めさせたことである。時には労働党の結党そのものが、革新政治を分裂させ保守党が支配する1世紀を招いたという点で間違いであったとさえ示唆したこともある。ブレア首相は、これらすべてが党の忠実な支持者たちの多くを深く不安にさせていることを自覚している。 — [5]
ブレア政権はシビル・パートナーシップ制度の導入など、LGBTの権利拡大で知られている。ブレアはLGBT団体「ストーンウォール」に対し、「起きたことは、この国の文化が明確な形で変化したということである」とし、「それは私に大きな誇りを与えるだけでなく、実際に多くの喜びをもたらした」と語っている。またブレアは、テレビで最初のシビル・パートナーシップの式典を見て、席から立ち上がって踊ったとも明かしている[6]。
ブレア派




以下の労働党の有力議員たちはブレア派とみなされることが多いが、本人がブレア派を自認しているとは限らない。
- アラステア・キャンベル[7] – ブレアの広報担当兼選挙運動責任者(1994年–1997年)、ダウニング街広報官および首相公式報道官(1997年–2000年)、ダウニング街通信局長および労働党広報担当(2000年–2003年)を歴任。2005年の総選挙では選挙運動責任者を務め、ブレアを3度目の勝利に導く。
- アンドリュー・アドニス – 元インフラ・経済再建担当影の大臣、元運輸大臣[8]。
- ヴァレリー・エイモス – 元国連事務次長(人道問題担当)兼緊急援助調整官。元駐オーストラリア高等弁務官。黒人女性として初めて閣僚を務めた[9][10][11]。
- ヒラリー・アームストロング – 元内閣府担当大臣、元院内総務(チーフ・ウィップ)[9][12][13]。
- ヘーゼル・ブリアーズ – 元コミュニティ・地方政府大臣。[14][15]。
- デイヴィッド・ブランケット – 元内務大臣[9][16]。
- スティーブン・バイヤーズ – 元運輸・地方政府・地域担当大臣。元庶民院議員[17][18][19]。
- ベン・ブラッドショー – 元文化大臣[20][21][22]。
- リアム・バーン – 元影の労働・年金大臣[16]。
- チャールズ・クラーク – 元内務大臣。2010年の総選挙で落選[17][19]。
- チャールズ・ファルコナー – 元大法官[23][24]。
- キャロライン・フリント – 元影のエネルギー・気候変動大臣[14][25][26]。
- トム・ハリス– 元庶民院議員[27]
- パトリシア・ヒューイット – 元保健大臣。元庶民院議員[28][29]。
- マーガレット・ホッジ – 元公共会計委員会委員長[30]。
- ジェフ・フーン – 元国防大臣[28]。
- トリストラム・ハント – 元庶民院議員[31][32]。
- オーウェン・スミス – 元庶民院議員[33]。
- ジョン・ハットン – 庶民院議員。元影の北アイルランド大臣[14][34]。
- テッサ・ジョウェル – 元文化大臣[12]。
- アラン・ジョンソン – 元内務大臣[20][35]。
- ダレン・ジョーンズ – 財務省首席政務官[36]。
- サリー・キーブル – 元庶民院議員[37]。
- ルース・ケリー – 元閣僚、経済学者[38][15]。
- リズ・ケンダル – 労働・年金大臣。2015年の労働党党首選挙の候補者。
- ウーナ・キング – 元庶民院議員[39][40][41][42][43]。
- ピーター・マンデルソン – 元筆頭国務大臣、「スピン・ドクター」のあだ名で知られる[44][45][46]。
- ウェス・ストリーティング – 保健大臣[47]。
- アラン・ミルバーン – 元保健大臣、保守・自民連立政権にて社会流動性特使を務める[19][44][45]。
- デイヴィッド・ミリバンド – 元外務大臣。2010年の労働党党首選挙に出馬するが敗れる[9][46]。
- エステル・モリス – 元教育大臣。一代貴族として貴族院議員[48]。
- サリー・モーガン (ハイトンのモーガン男爵) – 元政府関係局長、元女性担当大臣、元教育水準局(Ofsted)局長[12]。
- ジム・マーフィー – 元スコットランド大臣。スコットランド労働党党首(2014年-2015年)[49]。
- ジェームズ・パーネル – 元労働・年金大臣[14]。
- ジョン・リード – 元内務大臣[9][12]。
- ジャッキー・スミス – 元内務大臣[34][50]。