プエブラ・デ・サナブリア
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| 州 | |
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| 県 | |
| 面積 | 81.39 km² |
| 標高 | 974m |
| 人口 | 1,540 人 (2012年[1]) |
| 人口密度 | 18.92 人/km² |
| 住民呼称 | sanabrés/-esa |
| 守護聖人 | Nuestra Señora del Azogue、 Nuestra Señora de las Victorias |
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北緯42度03分19秒 西経6度38分01秒 / 北緯42.05528度 西経6.63361度座標: 北緯42度03分19秒 西経6度38分01秒 / 北緯42.05528度 西経6.63361度
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プエブラ・デ・サナブリア(スペイン語: Puebla de Sanabria)は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県のムニシピオ(基礎自治体)。サモーラ県北西部のサナブリア郡に属する。
自治体には歴史的建造物が多数存在し、自然豊かな景観を有する。サナブリア郡のサービス産業の中心となっている。
Sanabriaという地名は、Senapriaという名でスエビ王国の教区や西ゴート王国の造幣所として7世紀には記録されている。 10世紀にはUrbs Senabrieはサン・マルティン・デ・カスタニェーダ修道院の最古の文書の中に言及されている。サナブリア地区の中心としてのこの集落の発展はアルフォンソ7世の治世下から始まり、後にアルフォンソ9世が1220年9月1日文書をフエロ・デ・ベナベンテに与えることによって促進された。この文書自体は残されていないが、このフエロの文言はアルフォンソ9世の特許状を確認し、部分的に修正した、アルフォンソ10世の(1263年5月19日、セビージャ)特許状によって知られている。
15世紀の間はこの地はベナベンテ伯の支配するところとなり、何人もの代官が任命されている。
17世紀にはポルトガル独立戦争において戦場となり、荒廃した。そして同様に、アンジュー公フィリップとカール大公の支持者との間で戦われたスペイン継承戦争では、この地はポルトガル軍の兵士によって占領され、そしてユトレヒト条約によって1715年12月24日再びスペイン王権の下に復した。
地理

サナブリア郡はサモーラ県の北西部にあり、ポルトガル、ガリシア州、レオン県との境界地域に位置する。クレブラ山地、セグンデーラ山地、カブレーラ・バッハ山などの山がちな地形にある。自治体名と同名のプエブラ・デ・サナブリア、カステジャーノス(スペイン語版)、プエブラ・デ・サナブリア、ロブレード(スペイン語版)、ウンヒルデ(スペイン語版)の4地区に分けられる。自治体はテラ川とカストロ川の河岸に位置する。
豊かな景観にあふれ、伝統文化が色濃く残っている。サナブリア湖をはじめとする無数の氷河湖が点在し、独特で多彩な植物相、動物相がみられる。これらの豊かな自然とともに、これらの自然が天然の障壁となって、隣接する地域とは異なる独特な風俗・習慣、伝統文化がよく保存されている。
