プエンテ・ラ・レイナ
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| 州 | |
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| 県 | |
| 面積 | 39.71[1] km² |
| 標高 | 344m |
| 人口 | 2,867 人 (2010[1]) |
| 人口密度 | 72.20[1] 人/km² |
| 言語地域 | カスティーリャ語、バスク語 [2] |
| 自治体首長 (2011年) |
フィデル・アラカーマ・アスコーナ(AEP) |
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北緯42度40分00秒 西経1度49分00秒 / 北緯42.66667度 西経1.81667度座標: 北緯42度40分00秒 西経1度49分00秒 / 北緯42.66667度 西経1.81667度
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プエンテ・ラ・レイナ(カスティーリャ語:Puente la Reina、バスク語:Gares)は、スペインのナバーラ州のムニシピオ(基礎自治体)。プエンテ・ラ・レイナは混合地域(カスティーリャ語とバスク語)に属する[2]。
概要
サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かうサンティアゴの巡礼路の途上にある。ピレネー山脈のソンポール峠を越え、ハカ、サングエサを経由するルートと、ロンセスバーリェス峠を越え、パンプローナを経由するルートがプエンテ・ラ・レイナで合流する。合流後は西進してエステーリャへと向かう。
11世紀後半、パンプローナ王とカスティーリャ伯が共通の敵であるアラブ人とこの地で争った。アラゴン王アルフォンソ1世はプエンテ・ラ・レイナにフエロ(自治体特権)を与え、アルガ川右岸にフランス人たちが入植した。アルフォンソ1世は町をテンプル騎士団へ与えた。12世紀のフランス人僧エメリック・ピコーは、巡礼の際の記録を残し、その中でプエンテ・ラ・レイナのことを記している。第一次カルリスタ戦争においてドン・カルロス支持にまわったプエンテ・ラ・レイナ周辺では、数度の戦闘が行われた。
プエンテ・ラ・レイナを含むバルディサルベ地方は、ナバーラ中部にあり、地勢的にも文化的にもピレネーとナバーラの境界にあたる。19世紀に入るまで、地方全体でバスク語が話されていたが、鉄道建設で外国人労働者が流入したために20世紀初頭にバスク語は話されなくなった。
