プブリウス・コルネリウス・ドラベッラ (紀元前283年の執政官)
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経歴
紀元前283年、ドラベッラは執政官に就任。同僚執政官はグナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムスであった。同年の第二次ウァディモ湖の戦いで、ドラベッラはエトルリア・ガリア連合軍に勝利した[2]。アッピアノスによれば、ドラベッラはアレティウムの戦いで前年の執政官ルキウス・カエキリウス・メテッルス・デンテルを戦死させていたブリトマリス率いるガリア軍(セネノズ族)にも勝利したとするが、おそらくウァディモ湖の戦いの前と思われる[3]。凱旋式のファスティのこの時代の部分は欠落しているために、彼の凱旋式に関する記録は無いが、凱旋式を行ったことは間違いないと思われる。
アッピアノスによると、紀元前282年にルキウス・ウァレリウス・フラックス提督が率いる小艦隊をターレス(現在のターラント)が攻撃し、この際にドラベッラは死亡したとする(この事件がピュロス戦争のきっかけとなる)。おそらくはドラベッラは溺死したかあるいは捕虜となって処刑されたと思われる[3]。しかしながら、ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌスと共にヘラクレアの戦いの後の捕虜交換交渉をピュロスと行ったとの説もある[4][5][6]。