ヘアピン・サーカス
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| ヘアピン・サーカス | |
|---|---|
| 監督 | 西村潔 |
| 脚本 | 永原秀一 |
| 原作 | 五木寛之 |
| 製作 | 安武龍 |
| 出演者 |
見崎清志 江夏夕子 戸部夕子 睦五郎 笠井紀美子 |
| 音楽 | 菊地雅章 |
| 撮影 | 原一民 |
| 編集 | 諏訪三千男 |
| 製作会社 | 東京映画[1] |
| 配給 | 東宝[2] |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 84分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
『ヘアピン・サーカス』(へあぴんサーカス)は、1972年4月5日に公開された日本映画[2][3][4]。見崎清志主演[5]、江夏夕子主演[6]、西村潔監督[5]。
原作は1971年に発表された五木寛之の同名の短編小説(『四月の海賊たち』に収録)[5][7][8]。五木が運転免許を取得するために、渡辺自動車教習所(渡辺ドライビングスクール)に通っていた際に暴走族を相手にした元レーサーの教官の話を基に原作を書いた[4]。
スタッフ
製作
企画
本作のキーマンはオープニングクレジットで「オートモビル・ディレクター」と表記される大坪善男[5]。大坪はトヨタワークスの元ドライバーで[5]、当時はユニオンプロジェクトという映像制作会社を率いていた[5]。東京映画が五木寛之の作品を原作にして映画を製作することになり、大坪にテクニカルディレクターとしての要請があった[4]。製作に当たり「車については嘘を描かない」というコンセプトが打ち出されたという[8]。大坪は『素晴らしい世界旅行』(日本テレビ)など海外ロケを含む大型企画も請け負っていた会社の社長で、撮影のためにオランダに事務所を構え、アフリカでのロケ撮影も現地スタッフを用意したという[5]。
キャスティング
大坪が映画の主演に見崎清志を抜擢[5]。また舘信秀、佐藤文康を東宝に推薦した[4]。見崎、江夏夕子、睦五郎のキャスティングは東宝とする説もある[4]。ジャズシンガー・笠井紀美子のキャスティングはジャズファンの西村監督[4]。見崎は出演を渋ったが、当時の初任給が1万円の時代に100万円という破格のギャラが提示され、出演を承諾した[5]。自動車教習所の教官役だが[3]、俳優業には興味はなく[5]、演技指導もセリフの指導もなく、俳優陣の大げさでわざとらしい演技には戸惑いもあり、セリフはたどたどしい[5]。見崎に絡む不良チームの二枚目のニヒルな役者が2025年トムス会長・舘信秀[5]。主演でヒロイン・江夏夕子は"元祖レースクイーン"で[7][8]、トヨタ・2000GTを疾駆させる活動的な女性像を魅力たっぷりに演じた[6]。馬場康夫は「江夏の一世一代の代表作」と評価している[8]。江夏は当時A級ライセンスを所有しており[8]、ドライビングテクニックはプロの見崎から見ても上手かったという[5]。江夏の走行シーンは実際に江夏が運転するシーンも多いが[8]、危険が伴うシーンは大坪が代わりに運転したという[4]。
トヨタ・2000GT
大坪が自工ワークスを辞めるとき、退職金代わりに貰った一部FRPのアルミボディ3台のトヨタ・2000GTのうち、本橋自動車で3台から1台に組み直して映画で走らせたという[4]。トヨタ・2000GTの横転シーンは、西村監督やプロデューサーから「トヨタ・2000GTをつぶしたらトヨタとの関係がまずくなるよ」と気遣ってくれたが「問題ありません、やりましょう」と大坪は答えたという[4]。
撮影
見崎清志は、当時すでに1971年11月20-21日に開催される「第18回マカオグランプリ」に出場が決まっていたため[4][5]、大坪の発案で見崎の車に車載カメラを装着して1周分の映像を撮影した[4][5]。赤いマシンと青いマシンのデッドヒートシーンはよみうりランドで撮影[4][5]。赤いマシンには大坪が、青いマシンには見崎が実際に乗った[5]。赤いマシンのクラッシュシーンは葉山の広い駐車場を使って撮影された[5]。島尾(見崎)の行きつけで、美樹(江夏)たちの溜まり場「VILLA OAK」は、成城の東宝撮影所近く成城通り沿いにあった[8][9]。他に本牧埠頭など[5]。オープニングクレジットの首都高でのトヨタ・2000GTによる猛スピード撮影は無許可といわれる[7][8]。当時は交通量も少なくこのような撮影がまだ可能だった[5][8]。後半は美樹(江夏)の駆るトヨタ・2000GTと島尾(見崎)の駆るマツダサバンナGTとのチェイスシーンで、本牧埠頭や元町など横浜市内でのチェイスシーンが20分近くあり長い。この2台による雪上で乱舞する幻想シーンは群馬県赤城山で撮影された[4]。撮影は予定よりも延び、公開直前まで続いたという[4]。撮影に使われた黄色のトヨタ・2000GTは、1975年頃に杉並区の環七沿いの解体屋にあり、『俺たちの旅』のワンシーンに映っているとする説もある[7]。ボディパーツは、現在も新潟の愛好家の手元に残っているとされ、アルミ製の希少なレーシングカーで、本来は「存在してはならない」ワークス仕様だったのを大坪が管理していたという[5]。大坪は本作を切っ掛けとして映画の面白さに憑りつかれ、小川知子らと芸能事務所を作り、1973年に『さよならマカオ』というドキュメンタリー映画を製作している。大坪が作詞した「さよならマカオ」というシングルが小川の歌唱でリリースされている[4]。
宣伝
キャッチコピー
「挑戦か愛か。魔のカーブに女は罠を仕掛けた」[5]。