ハットー1世の死後、913年にヘリガーはマインツ大司教に昇格した。ドイツ王コンラート1世の文書には、ヘリガーが立会人として繰り返し登場する。ヘリガーは、危機に瀕した王政を守るため、ホーエンアルトハイム議会に参加した。
コンラート1世の死後、ヘリガーがフリッツラーで後継者ハインリヒ1世に塗油を申し出たが、ハインリヒ1世は拒否した。神の名において王とされることに満足を覚えたものの、塗油と戴冠式はより相応しい者に留保されるべきだと考えたからである。それにもかかわらず、ヘリガーはハインリヒ1世の王位を認めた。
その後、ヘリガーはハインリヒ1世の周辺においてしばしば確認される。921年11月7日、ヘリガーはハインリヒ1世とカール3世の間で締結されたボン条約を認めた。922年にはコブレンツ教会会議に参加し、また926年11月のヴォルムス帝国議会(926年)にも参加したことが記録されている。