1923年、『惑星間宇宙へのロケット(ドイツ語版)』(Die Rakete zu den Planetenraumen) と呼ばれる最初の論文を発表し、宇宙への飛行がどうすれば可能になるかという原理を示す。1929年にはこれに加筆を施した『宇宙旅行への道(ドイツ語版)』(Wege zur Raumschiffahrt) を発表している。その前年の1922年、米国のロケット研究者であるロバート・ゴダードに手紙を書き、彼のロケット研究の論文を取り寄せているが、後年「自分の研究はゴダードのものとは完全に独立していた」と主張している[2]。
1927年7月、オーベルトの論文を受けてブレスラウにドイツ宇宙旅行協会 (Verein für Raumschiffahrt, VfR) がヨハネス・ヴィンクラーによって設立された。また1929年にはドイツのSF映画『月世界の女』の監修をした。その際、実際に打ち上げられるロケットを製作する資金をラングから提供してもらうよう望んでいた[3]。