ヘンシェルヴェーグマン
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1930年代、ドイツ国鉄は高速鉄道網の整備に着手していた。1933年5月にはベルリン - ハンブルク間で、流線型気動車(SVT877形)によるフリーゲンターハンブルガーの運行を開始し、当時、平均速度ベースで世界最高速列車となっていた。1933年にはその成功を元に、高速鉄道網をさらに拡張しようとしていた。
しかし、ドイツ国鉄は世界恐慌の痛手から充分に立ち直っていなかった。蒸気機関車による運行の方が気動車による運行よりも経済的であると予想された。また、新しい気動車による高速列車の登場は、蒸気機関車にとっては脅威でもあり、勢力を伸ばしつつある気動車に対抗する必要もあった。
計画から製造へ
諸元
機関車 (Baureihe 61)

新製された61 001号機は、高速運転時における空気抵抗を考慮し、車体全体を流線型のカバーで覆ったタンク機関車で、「フリーゲンターハンブルガー」同様、クリームと紫色の塗装となった。これは当時、黒と赤に塗装されていたドイツの蒸気機関車の中では異例のものである。
動輪直径は2300mm、シリンダ蒸気圧ーは20bar、軸配置は2-C-2で、内側に装備されたシリンダーを駆動し、最高速度は175km/hに達した。また、コロ軸受の採用や軽量化など、当時の技術の粋を集めた「意欲作」でもあった。
1939年には1両が増備され、61 002号機となった。001号機同様、流線型のカバーで覆われたタンク機関車であるが、軸配置が2-C-3となり、水タンクの容量が拡張されたほか、3シリンダ方式を採用している。
客車

客車は、二等車・三等車・食堂車・郵便車・荷物車で構成(一部は合造車)された4両編成で、一等車は連結されていない。これらの客車は、本列車専用の客車として製造されたもので、全体的に丸味を帯びているほか、車体下部をカバーで覆っており、流線型機関車と一体となって、スピード感を出している。また、最後尾の客車は、ガラス張りの展望車となっている(後年に増備)。



