ヘンリー・カボット・ロッジ
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ヘンリー・カボット・ロッジ(英語: Henry Cabot Lodge, 1850年5月12日 - 1924年11月9日)はアメリカ合衆国の政治家、歴史家。
| ヘンリー・カボット・ロッジ Henry Cabot Lodge | |
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| 生年月日 | 1850年5月12日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1924年11月9日(74歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 | ハーバード大学 |
| 所属政党 | 共和党 |
| 配偶者 | アンナ・カボット・ミルズ・デイヴィス |
| 在任期間 | 1918年8月17日 - 1924年11月9日 |
初代 上院多数党院内総務 | |
| 在任期間 | 1920年3月4日 - 1924年11月9日 |
上院外交委員会委員長 | |
| 在任期間 | 1919年3月4日 - 1924年11月9日 |
| 選挙区 | マサチューセッツ州 |
| 在任期間 | 1893年3月4日 - 1924年11月9日 |
| 選挙区 | マサチューセッツ州6区 |
| 在任期間 | 1887年3月4日 - 1893年3月4日 |
その他の職歴 | |
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マサチューセッツ州下院議員 (1880年1月7日 - 1882年1月3日) | |
概要
連邦下院議員(1887年 - 1893年)、連邦上院議員(マサチューセッツ州選出、1893年 - 1924年)。上院では外交委員長(1919年 - 1924年)。ウィルソン大統領が提唱した国際連盟に対し、モンロー主義を唱える上院の反対(=共和党が多数)の中心となり、結局、アメリカ合衆国は国際連盟に加盟しなかった。1897年、米西戦争の前後にはウィリアム・マッキンリー大統領の同盟者・友人として、セオドア・ルーズベルト、アルフレッド・セイヤー・マハンらと共に膨張路線を推進してハワイ併合や、キューバ、プエルトリコ、フィリピンへの進出を果たした[1]。上院共和党協議会議長(1918年 - 1924年)となり。事実上の初代上院多数党院内総務とされる。後に上院議員、国連大使となるヘンリー・カボット・ロッジ・ジュニアは孫。