ヘンリー・トンクス
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イングランドのウェスト・ミッドランズのソリフルの金属工場のオーナーの家で生まれた。ブリストルのクリフトン・カレッジで学んだ後、ブライトンの病院やロンドンの病院で医学を学び、1886年にロンドンの病院の勤務医(house surgeon)になった。1888年に王立外科医師会のフェローになり、ロイヤル・フリー・ホスピタルに移った。1892年からロンドンの病院で解剖学を教えた。
1888年からロンドンのウェストミンスター美術学校の夜間コースで学び始め、フレデリック・ブラウンの指導を受けた。1891年から「ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ」の展覧会に出展を始め、1895年にクラブの会員になった。フレデリック・ブラウンの勧めで、画家の道に進み、1892年からは、ロンドン大学のスレード美術学校で教え始めた。
第一次世界大戦が始まると、医師の仕事を再開し、捕虜収容所で働き、赤十字の一員として、フランス、イタリアで働き、1916年にイギリス陸軍の医療部隊の将校になった[1][2]。1918年に公式戦争画家に任じられ、ジョン・シンガー・サージェントと西部戦線で活動した[3]。1919年にはロシア内戦の白軍の拠点、アルハンゲリスクにイギリス遠征軍の戦争画家として訪れた[4]。
1916年から1918年にかけて、著名な形成外科医ハロルド・ギリーズのチームに加わり、シドカップのクイーンズ・ホスピタルやオルダーショットのケンブリッジ軍病院などで、顔面に重傷を負った兵士たちの手術前後のポートレートをパステルで多数描いた。これらの作品は、形成外科の進歩を記録する医療目的のほか、戦争の残酷さを伝える芸術的価値も持つもので、72点以上が現存し、王立外科医師会(Royal College of Surgeons of England)に所蔵されている。[5]
1918年にフレデリック・ブラウンの後任としてスレード美術学校の教授となりこの仕事を1930年まで続けた。