ヘンリー郡 (バージニア州)
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| バージニア州ヘンリー郡 | |
|---|---|
郡のバージニア州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1777年 |
| 郡名の由来 | パトリック・ヘンリー |
| 郡庁所在地 | マーティンズビル |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
995 km2 (384 mi2) 989 km2 (382 mi2) 5 km2 (2 mi2), 0.53% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
54,151人 58人/km2 (150人/mi2) |
| 標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
| ウェブサイト | www |
ヘンリー郡(英: Henry County)は、アメリカ合衆国バージニア州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は54,151人であり、2000年の57,930人から6.5%減少した[1]。郡庁所在地はマーティンズビル市(人口13,821人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。ただし、国勢調査指定地域のコリンズビル(人口7,335人[3])に、管理棟(郡事務所があり、郡政委員会の会合が行われる)および郡庁舎がある。
ヘンリー郡はマーティンズビル小都市圏に属している。

ヘンリー郡は1777年にピットシルベニア郡から分離して設立された。当初は独立後の当時初代バージニア州知事を務めていたパトリック・ヘンリーに因んでパトリック・ヘンリー郡と名付けられていた。ヘンリーは既に親戚が住んでいたこの地域にレザーウッドと呼ぶ広さ1万エーカー (40 km2) のプランテーションを所有し、時々はそこで過ごした[4][5][6]。
1785年、パトリック・ヘンリー郡の北部とベッドフォード郡の一部を合わせ、フランクリン郡が設立された。1790年、パトリック・ヘンリー郡が2つに分割され、西部がパトリック郡、東部の残りがヘンリー郡となった。
ヘンリー郡初期開拓者の中にはジョージ・ウォラー大佐[7]、ジョージ・ヘアストン大尉、ジョン・レッド少佐がいた[8]。この3人全てが、ヨークタウンでイギリス軍のチャールズ・コーンウォリス将軍の降伏に同席した。アマースト郡出身のエイブラハム・ペン大佐は、アメリカ独立戦争のギルフォード郡庁舎の戦いで、ナサニエル・グリーン将軍の軍隊に合流する意図で、ヘンリー郡民兵隊を率いていった[9]。ジョセフ・マーティン将軍はマーティンズビルの名前のもとになった[10]。ルイーザ郡生まれで初期の著名開拓者だったモーデカイ・ホードはホーズビルと呼んだそのプランテーションに住んだ[11]。1751年にアマースト郡で生まれたジョン・ディラード大佐は独立戦争のプリンストンの戦いで負傷し、後には安全委員会の委員となり、バージニアの軍隊の大佐になった。
1902年、ヘンリー郡歴史協会がマーティンズビルで法人化され、初代の役員はジョン・W・カーター、J・ハリソン・スペンサー、C・B・ブライアントだった[12]。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は384平方マイル (994.6 km2)であり、このうち陸地382平方マイル (989.4 km2)、水域は2平方マイル (5.2 km2)で水域率は0.53%である[13]。
地区
ヘンリー郡は6つの監督地区に分かれている。バセット、ブラックベリー、コリンズビル、ホースパスチャー、アイリスウッド、レッドクリーク、リッジウェイの各地区である。
主要高規格道路
アメリカ国道58号線
アメリカ国道220号線
バージニア州道57号線
バージニア州道87号線
バージニア州道108号線
バージニア州道174号線
バージニア州道457号線
隣接する郡
- フランクリン郡 - 北
- ピットシルベニア郡 - 東
- ロッキンガム郡 (ノースカロライナ州) - 南
- ストークス郡 (ノースカロライナ州) - 南南西
- パトリック郡 - 西
| フランクリン郡 | ||||
| パトリック郡 | ピットシルベニア郡 | |||
| ストークス郡 (ノースカロライナ州) | ロッキンガム郡 (ノースカロライナ州) |
人口動態
| 人口推移 | |||
|---|---|---|---|
| 年 | 人口 | %± | |
| 1790 | 8,479 | — | |
| 1800 | 5,259 | −38.0% | |
| 1810 | 5,611 | 6.7% | |
| 1820 | 5,624 | 0.2% | |
| 1830 | 7,100 | 26.2% | |
| 1840 | 7,335 | 3.3% | |
| 1850 | 8,872 | 21.0% | |
| 1860 | 12,105 | 36.4% | |
| 1870 | 12,303 | 1.6% | |
| 1880 | 16,009 | 30.1% | |
| 1890 | 18,208 | 13.7% | |
| 1900 | 19,265 | 5.8% | |
| 1910 | 18,459 | −4.2% | |
| 1920 | 20,238 | 9.6% | |
| 1930 | 20,088 | −0.7% | |
| 1940 | 26,481 | 31.8% | |
| 1950 | 31,219 | 17.9% | |
| 1960 | 40,335 | 29.2% | |
| 1970 | 50,901 | 26.2% | |
| 1980 | 57,654 | 13.3% | |
| 1990 | 56,942 | −1.2% | |
| 2000 | 57,930 | 1.7% | |
| 2010 | 54,151 | −6.5% | |
以下は2000年国勢調査による人口統計データである。
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基礎データ
人種別人口構成
年齢別人口構成
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世帯と家族(対世帯数)
収入と家計 |