ベルトラメリ能子
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1903年(明治36年)4月1日に鉄信夫、こん夫妻の長女として生まれた。生家の鉄家は茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市)で遠洋漁業と缶詰製造業を営む旧家であり、能子の祖父鉄伝七は茨城県議(2期)、第19代茨城県会議長を務めた。日露戦争後に鉄家は家業の水産業を東京の水産会社に譲渡し、一家で東京に移った[1]。
8歳頃から東京で育つ[3][4]。1917年(大正6年)4月に東京音楽学校(現東京芸術大学)乙種師範科に入学し[5]、1918年(大正7年)3月に卒業[6]。引き続き東京女子音楽園で学んだのち、高輪尋常小学校で教師をしながら矢野寿美子、山田耕筰、米国人女性バーカーに師事し、アドルフォ・サルコリにベルカント唱法を学んだ。サルコリの同門に姉弟子の三浦環と妹弟子の関屋敏子がいる[4][7][8]。
1922年(大正11年)オペラ研究のため、イタリアに留学[2][4]。ナポリでテノール歌手マッシミーノ・ペリッリらに師事[9]。3年後にローマに移り[2]、オットリーノ・レスピーギ(当時のサンタ・チェチーリア音楽院院長)、アルフレード・カゼッラに理論を、ファウスタ・ラビアに声楽を学んだ[9][10][注 1]。
ローマでイタリアの詩人・アントニオ・ベルトラメリと出会い、のちに結婚[注 2]。1930年(昭和5年)に夫と死別し、1931年(昭和6年)に一時帰国して日本コロムビア専属歌手となり、独唱会などを開いた[12]。
1932年(昭和7年)には再びイタリアへ渡り、1935年(昭和10年)に帰国[2][4][13]。帰国後は鎌倉に住み、ベルカント唱法の日本普及に貢献するなど、教育活動に尽力した[13]。
1959年(昭和34年)国立音楽大学専任講師[3][4]。1964年(昭和39年)同大学教授[3][4]。
1973年(昭和48年)8月2日、東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去[14]。享年70歳。著作に『イタリア歌曲集』(音楽之友社、1956年 - 1958年)がある[13]。