パリで生まれた。高等電気学校(Ecole Superieure d'Electricite)で学んだ後、エコール・ポリテクニークでアルフレッド・ペローの助手を務めながら、パリ大学で物理、化学を学んだ。
1920年から1952年までムードン天文台で研究した。1930年代から太陽コロナの研究のための装置コロナグラフを開発し、日食時以外でもコロナの観測ができるようになった。1938年にコロナ、プロミネンスの動きの動画撮影に成功した。
1952年に日食観測隊としてスーダンにおもむいた帰途、カイロで心臓マヒで55歳で急死した。