ベルント・ヴァイクル
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最初、国民経済学を学んだが、ドイツ・マインツで歌唱の専攻に転向し、ハノーファー音楽大学を卒業した。1968年、ハノーファー歌劇場でデビュー。1972年、バイロイト音楽祭に初めて出演した。1977年以降、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に定期的に出演した。役のレパートリーはイタリア・オペラ、ドイツ・オペラ、フランス・オペラからロシア・オペラにまで及んだ。著名な歌劇場や音楽祭には常連として客演を続けた。
具体的には、バイロイト音楽祭には25年間、毎夏、出演。メトロポリタン歌劇場には20年。ロンドンのコヴェントガーデン歌劇場に25年。ミラノ・スカラ座に20年。ウィーン国立歌劇場は32年間に通算350日(350演目)。日本への客演が30年。バイエルン国立歌劇場に25年。ハンブルク国立歌劇場に17年。その他、客演として、ベルリン・ドイツ・オペラ、ベルリン国立歌劇場、パリオペラ座、バルセロナ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、リスボン、リュクソール、テルアビブ、モスクワの他、世界各地の歌劇場やコンサートホールに出演した。ピアニストのコード・ガーベンの伴奏で歌曲の録音を多く残している。伴奏者としては、ガーベンの他、アーウィン・ゲージ、ヘルムート・ドイッチュとともに、国内外で歌曲リサイタルを開催した。
歌手としての経歴の他、映画・テレビ番組の作家としても活動した。映画には著名な作曲家を扱ったものがあり、フーゴー・ヴォルフのイタリア歌曲集・スペン歌曲集、マーラーの「不思議な子供の角笛」、ワーグナーのドイツ歌曲集・フランス歌曲集、リストの歌曲集などに関連する作品がある。
1988年、名誉称号として教授の称号を受けた。1993年、ハンブルク宮廷歌手の称号を受けた[1]。バイエルン宮廷歌手、オーストリア宮廷歌手の称号も持ち、1998年にはウィーン国立歌劇場名誉団員の称号を授かった。
1988年のイスラエル建国40周年記念式典に際してはメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」の上演を企画し、自らソロで出演した。ハンブルク、ミュンヘン、ヴィースバーデン、イスラエルで上演された。イスラエルとドイツの大統領夫人、アウラ・ヘルツォークとマリアンネ・フォン・ヴァイツゼッカーが企画の後援者となった。
1996年に、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンの精神治療クリニックで「鬱病患者への音楽療法的介入としての歌唱」の研究を始動した他、ウィーンでは、旧市民病院(AKH)とオーストリア肺疾患連盟との共同研究として、「気道疾患患者のための発声・歌唱トレーニング」という治療法コンセプトをスタートさせた。
父親の出身地であるバイエルン州・ボーデンマイス市の名誉市民となっている。市庁舎にはヴァイクルにまつわる展示施設が置かれている[2]。
2012-14年、彫刻家カール・ヘニング・ゼーマンにより等身大の彫像が制作されている。
顕彰
- 1994年10月5日:ドイツ連邦共和国功労大十字勲章(Großes Bundesverdienstkreuz)
- 1995年7月13日:バイエルン州功労勲章(Bayerischer Verdienstorden)
- 1998年2月24日:アルマトイ大学名誉博士
- 2002年9月:ウィーン州黄金名誉功労勲章(Goldenes Ehrenzeichen für Verdienste um das Land Wien)
- 2002年10月4日:オーストリア共和国・学術芸術名誉十字勲章・1等(österreichisches Ehrenkreuz für Wissenschaft und Kunst I. Klasse)
オペラ演出
- 「フィガロの結婚」:ノイシュトレーリッツ音楽祭
- 「サロメ」:カイザースラウテルン・プファルツ劇場
- 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」:東京・新国立劇場
- 「地獄のオルフェ」:ケルン・ラインドイツオペラ
- 「ファルスタッフ」:カイザースラウテルン・プファルツ劇場(題名役と演出家を兼務)
