ベルンハルト1世 (ザクセン公)
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父ヘルマン・ビルングは皇帝オットー1世からザクセンを任された人物であったが、ザクセン公の称号を用いたのはベルンハルト1世が最初である。ベルンハルト1世は974年、983年、994年の3度にわたり、ザクセンに侵攻してきたデーン人と戦った。983年、神聖ローマ皇帝オットー2世の死後に後継者争いが勃発すると、ベルンハルト1世はオットー3世を支持してバイエルン公ハインリヒ2世に対抗した[1]。986年、彼は争いに勝利したオットー3世からマルシャル(厩役)の地位を与えられ[2]、991年と995年のオットー3世の対スラヴ遠征にも同行した。ベルンハルト1世の権力はドイツ王に匹敵するほどになった。父ヘルマンが、ザクセン人に向けたドイツ王側の代表だったのに対して、彼はドイツ王に向けたザクセン人の代表となっていた[3]。ベルンハルト1世は1011年に没し、リューネブルクの聖ミヒャエル教会に葬られた[4]。 .