ボードゥアン4世 (フランドル伯)
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生涯
ボードゥアンは、フランドル伯アルヌール2世とアンスカリ家のロザーラ(イタリア王ベレンガーリオ2世の娘)との間に生まれた[1]。987年に父の死によりフランドル伯位を相続したが[1]、ボードゥアンが成年に達するまで母ロザーラが摂政をつとめた。
これまでのフランドル伯とは対照的に、ボードゥアンの関心は、彼の家臣であるギネ(Guînes)伯、エスダン(Hesdin)伯およびサン=ポル伯らの手中にあった南部ではなく、東部に向いていた[2]。
伯領の北部は、レーエンとして神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世からゼーラントの地を与えられており、一方、スヘルデ川右岸の地域は、サントメールおよび北部テルノワ(Ternois)に加え、ヴァランシエンヌおよびカンブレーの一部が与えられていた[3]。
フランス内のフランドル伯領では、ボードゥアンの支配権は確固たるものであった。フランドルの海岸沿いの湿地帯は大規模な植民地化がなされ、港やブルージュの街の拡張が行われた。ボードゥアンは1035年5月30日に死去した[1]。