ポクロウシク
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クラスノアルメイスク/ポクロウシク Красноармейск (Krasnoarmiisk) Покровськ (Pokrovsk) | |||
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市 | |||
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ポクロウシクの中心地 | |||
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| 座標:北緯48度16分58秒 東経37度10分58秒 / 北緯48.28278度 東経37.18278度座標: 北緯48度16分58秒 東経37度10分58秒 / 北緯48.28278度 東経37.18278度 | |||
| 国 |
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| 州 |
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| ラヨン(地区) | ポクロウシク地区[2] | ||
| フロマーダ | ポクロウシク・フロマーダ[2] | ||
| 市 | ポクロウシク | ||
| 設立 | 1880年 | ||
| 面積 | |||
| • 合計 | 29.7 km2 | ||
| 人口 (2021年)推計[3] | |||
| • 合計 | 61,161人 | ||
| ケッペンの気候区分 | Dfb | ||
| 区画コード[注釈 1] | UA14160210010099403[2] | ||
| ウェブサイト | http://pokrovsk-rada.gov.ua | ||
ポクロウシク (ウクライナ語: Покровськ, 発音 [poˈkrɔu̯sʲk] (
音声ファイル)), 又はポクロフスク(Pokrovsk, ロシア語: Покровск) は、事実上ロシアのドネツク人民共和国の支配下にある市。ロシアでは、クラスノアルメイスク(ロシア語: Красноармейск)と呼称される。国際的にはウクライナ・ドネツィク州ポクロウシク地区に属するとされる。人口は2021年推計で61,161人[3]。
2020年以前、州内重要市として制定されていた。
2022年のロシアのウクライナ侵攻により戦場となり、アウディーイウカの陥落後、最前線の街となった。1年以上にもわたるロシア軍とウクライナ軍の戦闘の末、街は壊滅的被害を受け瓦礫化し人口も1300人にまで減少した[5][6]。2025年11月末、ロシア軍が市内の大半を占領し事実上、ポクロウシクはロシア及びドネツク人民共和国の支配下におかれた[7]。
歴史
1875年にロシア帝国によって、グリシナとして鉄道建設の拠点として町が建設された。1881年に鉄道が敷設され、1884年に鉄道の運行が開始される。当時の人口は2000人。1913年には人口は4,500人にまで増加した。その後、ロシア革命後に赤軍を意味するクラスノアミンスコエへと名称が変わった。第二次世界大戦の独ソ戦でも激しい戦闘の舞台になり、対ナチス戦争勝利を受けて、赤軍の街を意味するクラスノアルメイスクへと名称が変更された。ソ連からの独立以降も名称は変わっていなかったが、ウクライナ政府による脱共産主義法の制定によりポクロウシク(ロシア語名ポクロフスク)へと変更[8]された。2014年に始まったドンバス内戦以降、ポクロフスクはウクライナ軍のドンバス戦線における供給物流拠点、軍事要塞拠点としてドネツク地域防衛の最大拠点となってきた。
2022年のロシアのウクライナ侵攻に際してはポクロウシクはウクライナ軍のドネツク州全体における補給拠点、要塞拠点として重要な役割を担った。しかし2024年のアウディーイウカの陥落後、2024年4月に起きたオチュレティネの戦いでロシア軍は戦線を突破、ポクロウシクに向け西へ約40km前進しポクロウシクに急接近した[9]。その後、度重なるロシア軍の爆撃や砲撃、ドローン攻撃により街は完全に廃墟と化し2025年10月下旬〜11月にかけ街は包囲され市内にはロシア軍が侵入。ロシア軍の浸透戦術によりウクライナ軍は市全域にロシア兵の侵入を許し同月末にはロシア軍が市内中心部を占領[10][11]。実質的にウクライナ軍は街での支配権を失い事実上、ポクロウシクはロシア軍の支配下となった。
人口統計
2017年8月1日時点のポクロウシクの人口は75,205人[12]。
2001年国勢調査のデータによる民族内訳:[13]
| 人口 | 割合(%) | |
|---|---|---|
| ウクライナ人 | 62,158 | 75.0 |
| ロシア人 | 18,299 | 22.1 |
| ベラルーシ人 | 558 | 0.7 |
| アルメニア人 | 307 | 0.4 |
| アゼルバイジャン人 | 215 | 0.3 |
| 人口推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| Source: [14] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001年ウクライナ国勢調査による母語の割合:[15]
交通
ドネツク中部の鉄道拠点となっており、複数の路線が集まっている。市内にはポクロフスク鉄道駅がありキエフ等ウクライナ各地とを結んでいる。マイダン革命以前の2014年以前はモスクワやサンクトペテルブルク等ロシア各地への列車も運行されていた。
2022年ロシアのウクライナ侵攻
- →詳細は「ポクロウシク攻勢」を参照2023年8月7日 - 住宅地にロシアからのミサイルが着弾。救出作業中に再度ミサイル攻撃が行われたため、救助活動を行っていた者も巻き込まれた。死者9人、負傷者82人[16]。
- 2024年8月19日‐ウクライナ当局はロシア軍が急速にポクロウシクに迫ってきているため、子供がいる世帯の住民に対し避難を命じた。現在同市には5万3000人以上の住民が残っている[17]。
- 2024年12月-ポクロウシクにロシア軍が約3kmのところまで迫っており既にポクロウシク周辺の地域で戦闘が起こっている[18]。市内はロシア軍の砲撃や爆撃によりほとんどの住宅街が被害にあいガス、水道、電気などが途切れた。
- 2025年7月21日-ロシア軍破壊工作部隊がウクライナ軍部隊にパニックを引き起こし都市から撤退させることを目的にポクロウシク市内に侵入した。150人のロシア軍部隊のうち120人が都市にたどり着くまでに排除され残りの30人が市内に侵入したがほとんどが排除された[19][20]。
- 2025年7月下旬-ロシア軍の接近によりポクロウシクの人口は1500人未満にまで減少した[21]。
- 2025年10月-ロシア軍がポクロウシク市街南郊外と西部のダーチャ群に到達した。またロシア軍は市内中心部の鉄道駅周辺にも進出しウクライナ軍との戦闘が起こっている。現在少数のロシア軍浸透戦術部隊が市街地南部地域に出現しており市街地南部全域が戦闘区域になっている[22][23][24]。
- 2025年10月下旬‐ロシア軍が市街中心部と市北東郊外に到達した。ウクライナの軍事アナリストによればロシア軍は数百人の少数部隊で市街に浸透し後方で前線部隊が突破口を開くため破壊工作活動を行っている[25]。ロシア軍はポクロウシクに大量の兵力を投入しており市内に足場を築きたいロシア軍と街を守るウクライナ軍とで激しい戦闘が続いている。ロシア軍はポクロウシク北東方向のクラスヌーイ・リマンからも前進しておりポクロウシク‐ミルノグラード都市群が包囲される危険性もある。アメリカの戦争研究所やロシア人ミルブロガー、ゼレンスキー大統領などが否定したがロシア軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長はポクロウシク都市群の包囲を発表した[26]。
2025年10月下旬〜11月上旬ー複数の情報機関やミルブロガーはロシア軍が市内全域に浸透し市街中心部の一部を占領したと報告した[27][28]。シルスキー総司令官やゼレンスキー大統領はウクライナ軍の状況が厳しいことを認めた上で、ポクロウシクの包囲とロシア軍の前進を否定した[29][30]。ウクライナ側の情報機関はウクライナ軍は様々な特殊部隊や無人機部隊を用いロシア兵の排除を試みているが状況は依然として厳しい。市内には両軍の陣地が入り乱れており状況を完全に把握するのは不可能だと報告した[31][32]。
2025年11月8日時点でのポクロウシクの戦況図 - 11月6日、ウクライナ軍にとって市内の状況は悪化しつずけており、一部のウクライナ側の団体からは撤退を求める声も出ている[33]。 また、ウクライナや欧米のメディアは、ポクロウシクの戦況を危機的状況と評しウクライナ軍は戦うか兵力を温存するかの選択に迫られていると報道した[34]。7日にはポクロウシクでの攻防を巡り、ウクライナ軍のグナトフ参謀総長が「市内から軍を撤退させる計画はあるか」と尋ねた報道陣に対し、ポクロウシク撤退の可能性を示唆するコメントを述べた[35]。
- 11月13日、 ウクライナ側の情報機関はロシア軍がコトリネで約2km前進した、市南東部の高層集合住宅群全域を占領したと報告した。また、ウクライナ軍がポクロウシク郊外のシャホヴェでロシア軍を撃退したとも報告した [36][37]。
- 12月1日、ロシア大統領府のペスコフ報道官は、ロシア軍のゲラシモフ参謀総長らが11月30日にポクロウシクを制圧したとプーチン大統領に報告したことを明らかにした。また、プーチン大統領は軍司令部で報告を受けた際、ポクロウシク制圧の重要性を強調し、ロシア軍が戦場で完全に支配権を握っていると述べた。一方、ウクライナ軍は1日、ポクロウシク周辺地域でロシア軍による攻撃が43件報告されているとしたが、同日時点でのポクロウシクの状況に関するコメントは確認されていない[38]。
- 同日、ロシアのミルブロガーのRYBARはロシア軍がポクロウシクを解放した事を報告した[39]。また、ポクロウシク中央広場や市庁舎、市街地中心部やポクロウシク南東部の集合住宅群、市西郊外、東郊外で国旗を掲げるロシア軍兵士の姿が確認された[40]。 2日、ロシア軍のポクロウシク占領について、ウクライナ軍東部作戦地域司令部はポクロウシクで索敵・攻撃作戦と市街地における敵の排除が続いていると主張し同市の陥落を否定、市庁舎で国旗を掲げたロシア軍部隊は撃退したと主張した。これに対し、ロシアのプーチン大統領は市の占領を証明するために2日、クラスノアルメイスク(ポクロウシク)に外国人ジャーナリストを招待し自分の目で事実を確認する権利を与える用意があると述べ、これにはもちろんウクライナのジャーナリストも含まれるとした [41]。
- ポクロウシクの戦況についてNATO高官は2日、ロシア軍が市の95%を制圧しウクライナ軍は市内の拠点からの撤退を進め、防御陣地の再構築を急いでいることを明らかにした[42]。
